新書『搾取される若者たち―バイク便ライダーは見た! 』

http://d.hatena.ne.jp/idiot817/20061021/p1
日々日報
 
asin:4087203611
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4087203611/
 


注目すべきは、このルールは
経営者がライダーをつなぎとめるために巧妙に考えだしたものなどではなく、
とくに理由はなくなんとなく採用されていたルールにすぎない、ということ。
しかし、この3つのルールが存在することによって、
若者の職場はなかば自律的に
ワーカホリックライダーを生み出すようになっていく。
(詳しくは本でどうぞ)
 
使用者の上からの命令ではなく、
職場のヨコの関係から過剰労働に陥ってしまう
 
 これ、「過剰労働」「ワーカホリックライダー」を
自律的に生み出すシステムの方が"経営的に圧倒的に効率がいい"ために、
他のシステムを駆逐して残っていってしまった可能性はないだろうか?
(逆に言えば、ワーカホリックを"生み出さない"システムでは
そもそもコスト的にも成立し得ない職なのかもしれない。)
この辺り、とても気になるので買って読んでみようかなぁ?
 

特に印象深かったのは、
顧客の大半である一流企業やIT企業に書類をとどけるたびに、
ぬくぬくといいとこ(のようにみえるところ)で仕事してる「あいつら」と、
ブルーカラーである「俺たち」の圧倒的な差を感じ、
しかし路上では「バイク便ライダー」として
すり抜けなどの卓越した運転技術によって
タクシーの中にいたりするホワイトカラーよりも優位に立つことができる。
「バイク便ライダー」としての自己を演じることで、
ライダーとしての誇りを持つようになり、
よりライダーに「はまっていく」という構図。
「ハマータウンの野郎ども」のようだ。
 
 ○○という所属に「誇りと共に、はまっていく」感覚。
 
追記:
 ネット上に、同じ筆者がまとめたっぽい、
とても優れた別記事があったので記載。
 
http://v000085201.securesites.net/ronza/story/200610_2.shtml
若年労働の現場2[ケアワーカー]気力と体力勝負の「聖職」
阿部真大:OPENDOORS:雑誌:論座

ユニットケアの労働とは、長く携われば携わるほど、
サービスがエスカレートしていく労働なのである。
ケアの世界では、「自発的な」サービス残業は当たり前である。
 
(中略)
 
目の前には傷ついた人々がたくさんいるのに、圧倒的に人手が足りない。
でも、ひとりでも多くを助けたい。
自分のことなんてかまっていられない……。
彼らは、自分が疲弊しきって燃え尽きるまで人を助け続ける。
しかし、自分が倒れたときには誰も救いの手を差し伸べてはくれない。
こうしたことをすべて承知したうえで、
しかし、今、目の前にいる人を助けなくてはならないと考えるのが
ケアワーカーたちだ。
 
(中略)
 
いずれにせよ、
若者の良心と待遇、そして将来を削りとることでしか支えられない
ユニットケア」という仕組みそのものが、
長続きしないものであることを私たちは認識すべきだ。
若き「ワーキングプア(働く貧困層)」によって担われる
「豊かな」福祉社会などという不気味な未来がやって来る前に、
「相互行為としてのケア」という言葉のもつ意味を、もう一度考え直す必要がある。