破滅ラウンジ・再生ラウンジを撮影しての感想文とか。
元画像は2300万画素のパノラマです。ぜひリンク先でご確認ください。
破滅→再生*ラウンジ
会期:2010年5月8日(土)〜5月23日(日)
会場: NANZUKA UNDERGROUND渋谷
公式サイト:
http://chaosxlounge.com/event.html
(現在、破滅ラウンジ関連情報はほとんど掲載されてません。)
http://www.tokyoartbeat.com/event/2010/6F49
TAB イベント - 「破滅*ラウンジ」
破滅ラウンジ、再生ラウンジで撮影した画像のまとめ570枚(除くうしじまラウンジ・高尾ラウンジ)
http://www.flickr.com/photos/workshop/sets/72157624039290254/
うしじまラウンジでの撮影全画像470枚
http://www.flickr.com/photos/workshop/sets/72157623963771499/
高尾ラウンジ撮影画像110枚
http://www.flickr.com/photos/workshop/sets/72157624076908372/
破滅/再生*ラウンジと関連イベント含めて1000枚以上の画像をupしたわけですが。
我ながらよくこの枚数を撮影して色補正とかやってアップロードしたものだなぁと…
そりゃ、終了後に激しく体調崩しますわ…。
インターネットすばらしい的、破滅ラウンジな日常
インターネットすばらしい的、明けの明星とのセットの写真。
奥の光景の子細は、やまあるさんの撮影画像チェック!
破滅・再生ラウンジ最終日にはラブラブモードが発生!
最初の数日間はカオスラウンジの時のように展示作品*1を資料的に撮影しようと思っていたのだけど、
2回目か3回目に通ったときからかな?作品云々は背景や環境として扱っていき、
ここに来る「人の振る舞い」をメインで撮影しまくった方が絶対面白いと思ってた。
体力的にも泊まり込んで撮影するわけではないので詳細なアーカイブ的撮影は無理だし(泣)。
撮影するときには、人物撮影の常として、
なるべくありのままで、丁寧に誠実にいこうかなぁ…と。
ぶっ飛んでる人はその勢いを殺さずそのままに、安らいでる人はそれっぽく、
「あまりにひどすぎるシーン」ではカメラを脇に置いて、相手を介抱していたり。
まあ、最終日は自分もノリノリだったので「紅だ〜〜〜とか」叫びながら撮影してたわけですがw。
うしじまラウンジの撮影の時だけは、例外的に、アングルを色々付けて撮影してます。
人間を目立たせると言うよりは、圧倒的な数の「カメラ」が物として目立つような撮り方をしてみたり、
あるいはGR DIGITALを現場のピンポイントに放置してインターバル撮影させてみたり。
改めてみると、一眼レフカメラって、人間の持つモノとして、無駄にデカイ気がするw。
いわゆる大文字のARTとか美術として、
直接的に破滅ラウンジの成果「物」として出てきそうな仕組みはほとんどなさそうで、
せいぜいメインのカオスプロクシが、もう少し融通とフィルタリングが効いて
リアルタイムVJツールになるとオモシロネタとして使えそうなくらい。
あり物のネタをプリコラージュ(器用仕事)で瞬時に組み合わせて
面白いモノを仕立て上げる空間という意味ではかなり雰囲気アゲアゲな場所だったけれど、
まったく想定外の方向から吹っ飛んだ何かが出てくる感じは正直少なかった。
まあ、実際の現場では、
日常からすると相当とんでもないことがそこらかしこで起こっていて、
現場のそこらかしこで歴史を揺るがす新発見の兆しがあったとしても、
多分面白半分でそのまま見過ごされていた可能性は高い(笑。
「破滅ラウンジだから仕方ないよね」というレベルで見事に誰得全損していたし。
逆に、破滅ラウンジ〜再生ラウンジを体験したり批評したり通過した後で出てくる、
2次創作作品というか、持ち帰り宿題というか、破滅再生ラウンジ通過後の作品は、
なにかしら、明らかに作風や思想背景に影響が出てくるような気がする。
例えば、ウッドストックや、バーニングマンの体験前後で
色々と行動パターンが変わるみたいな感じは確実に出るだろうなぁ。
美術批評の側のしっかりとした言語が、今の時点では、
破滅/再生ラウンジにはうまく追い付いていない感じが多々ある。
いわゆる祝祭空間ではあるのだけど、その生成・保存・発展・拡散過程に
「伽藍とバザール」以降のなにかおもしろい展開を予感されるものがあって、
これが成立するには、「自分が最初から最後までグイグイコントロールする」系のキュレーターだと
無理な部分が結構いろいろとあるんじゃないかなぁ?という気がする。
考えるときのポイントは、破滅再生ラウンジの現場にいたけど、
別の才能で、ソフト開発とはふつうは関連づけられないけれど、
でもバザールプロジェクトではデザイン上の才覚に匹敵するほど
――あるいはそれ以上――重要なものがあると思う。
バザールプロジェクトは、コーディネータやリーダの対人能力やコミュニケーション能力が優れていないとダメだ。
これは説明するまでもないだろう。
開発コミュニティをつくるには、人を引きつける必要がある。
自分のやっていることに興味を持たせて、
各人のやっている仕事量についてみんなが満足しているように気を配る必要がある。
技術的な先進性は、これを実現する役にはおおいに立つけれど、
でもそれだけではぜんぜん足りない。その人が発する個性も大事だ。
リーヌスがナイスガイで、みんなかれを気に入って手伝いたくなってしまうのは、偶然ではない。
ぼくがエネルギッシュで外向的で、大人数を動かすのが好きで、
コメディアンの話術や本能をちょっと備えているのも偶然じゃない。
バザールモデルが機能するためには、人を魅了する能力が少しくらいでもあると、きわめて役に立つのだ。
The Cathedral and the Bazaar: Japanese
http://cruel.org/freeware/cathedral.html
わけもわからずあまり場に溶け込めずにうろうろあてどもなく滞在していた観衆たちの存在。
現場に来た以上、完全に外の人というわけではないけれど、
コメントしたりインターネットしたり作品作るわけでもなく、
なかなか「観る」ところから先へのステップに行かなかった人々が会場にもの凄く多くいた。
もちろん観客動員数としては数字でカウントされるだろうけど、
それ以上にこれだけ多くの観衆があの場所にいたということが重要で…
会場内にいる人々が町内会や村のお祭りみたく「全員身内・全員知り合い」とかだったら、
破滅・再生ラウンジはうまく機能してなかったような気がする。
まあ、しばらくの間は、この出来事を語る言葉として一番適切なのは、
「子細はよくわからないけど、なんかすごい体験してきた」というのが適切な気がして、
新しくこの出来事を説明する言葉が出来るまでは、寝かせて置くのも手のひとつかなぁ…と思ってます。
*1:と言っていいのかな?