案外、今ほどネットと英語を使えることで適度に「楽しめる」時期は他に無かったんじゃないかなぁ?

 
 二日酔いの頭で考えてみる。
 
 山手線の車内で暇つぶししていたら、車内の液晶モニターから
結構な頻度で流れる「ちょっとした英語レッスン」のコンテンツ。
よくよく考えたら、これ、かなり不思議な現象だよなぁ。
 
 twitterレベルのちょっとした英語(思ったよりも通じるw)と、
(オタクな)日本人としての希少価値(英語と第2外国語ができるオタは重宝される)と、
常時接続インターネット(あるいはケータイパケ放題)の低コスト通信。
ここに、電車の中のような微妙なスキマ時間を活用できれば
なにかしら面白いビジネスアイデアが生まれそうな気がする。
特に、電車内という半閉鎖空間限定のコンテンツ提供ってのは、面白そう。
 
(追記)
 似たようなことを考えてる人がいたのでリンク
Twitter 突発オフに相性がいいモバイル SUICA
ファミリーマートやローソンでは全店で Edy が利用可能に
http://kengo.preston-net.com/archives/003259.shtml
Going My Way
(追記おしまい) 
 
 
 けど、こういう「面白い英語」ってのは将来的にはどうなんだろう?
 今は、英語がある程度使えることが、
スキルアップという「ファンタジー」になっているんだけど…
遠い将来、日本語圏がさらに貧乏になってくることや、
確実に増えていく移民労働者とのつき合いを考えると、
むしろ低所得階層ほど「英語が使えないと生活できない」っていう事態になるかも。
 例えば、松屋で移民労働者の店員に味付けについての文句を言うときの
日本語で会話するよりコストが低いが故の、必要に迫られての英語使用*1
で、この場合の英語は、楽しいコミニケーションの為と言うより、
単純労働の指示・命令のための、楽しい感情が少ない、偏った英語になりそう。
 

*1:本当は、過去にあった、もっと露骨でえぐい喩えを思いついたんだけど、あまりにえぐいのでそちらは削除。