で、ゲームが上手くなった、その後は?

 けど、一番の問題は、『TVゲームがうまくなる』 ことは
果たして本当に楽しいことなのか、
『TVゲームが上手くなりたい』と思う人は
世の中にどれほど存在しているのかということ。
 
 ゲームの楽しさを演出する要素のひとつには、
「適度な負荷」を波のように与え続けるということもあって
単純なTVゲームでは、やり込み系プレイ*1以外では
その「負荷」を自分で設定しづらい、「先へ進む」こと以外を除いては。
そして、ゲームで「先へ進む」っていったいどういうことなのだろう。
 
発熱地帯で先日書かれていた
「プレイデータ中心主義がもたらすもの」
http://amanoudume.s41.xrea.com/cgi-bin/mt/archives/000359.html
の中の文章


しかしゲームの歴史をふり返ると、
「買った人は誰でも最後まで到達する権利がある」
という考え方が徐々に強くなっているのです。

http://amanoudume.s41.xrea.com/cgi-bin/mt/archives/000359.html
「プレイデータ中心主義がもたらすもの」

という言葉の中にある「最後」という言い方で
明らかにごまかしている部分の妙な気持ち悪さとか…。
ここの部分から、dakiniさんのこの文章は明らかに
「特定の種類のゲームを考慮していない」だろうなぁと感じました。
 

*1:ファミ通の「やりこみDVD」など参照