自分が卒論を書いたときのことを色々と思い出す。

 読ませる対象として、主査の指導教官と副査の教官を想定したときに、
中間発表の段階で、ここの部分の内容は
指導(チェック)を受けられないだろうなぁと思った部分*1が、
やっぱり後々になって手詰まってそれが尾を引いてしまい、
結局最後の最後の段階で、論文を書く際に、
そこの内容は全部ばっさり破棄してしまいました。
 
 こうして書いた卒論自体には後悔はしてないけど、
この時に貯め込んだ知識と、掴んだなにかは無駄にはしたくないってのは、
デジカメで色々と画像を撮り貯めてる理由のひとつかもしれないです。
 

*1:森村泰昌のいくつかの作品を題材とした、ステレオタイプ表層と内面の解離・矯正がもたらす諸問題。論文の後半部に使う予定で、半年かけて色々調べた。