MIX CULTURE の仕掛人

http://www.vividcar.com/cgi-bin/WebObjects/f1b8d82887.woa/wa/read/108d4588f0b/
島健太:1987 年のニューヨーク PART 1


当時のニューヨークダンスシーンの仕掛人にイアン・シュレイガーという男がいます。
(チョイ略)
彼らは、ただ単に流行を作りだしたわけではありません。
先駆けとなったパラディアムは 14 丁目に作られましたが、
14 丁目というのは、ミッドタウンとダウンタウンの境界線と言える場所です。
それ以前からダウンタウンには
アーティストや若者が集まる小さなクラブが存在しましたし、
ミッドタウンには白人の富裕層やサラリーマンを狙った
STUDIO 54 という有名なディスコがありました。
ブロンドとスーツ姿が集うサタデーナイトフィーバーなディスコです。
イアン・シュレイガーは MIX CULTURE というコンセプトを提言し、
決して混じりあうことのなかったこの 2 つの層を
14 丁目の境界線で MIX させることによって、
新たなカルチャーとビジネスチャンスを自然に産み出そうとしたのです。
 
 彼は、今まではセキュリティにすぎなかったドアマンに
絶対的な権力を与えました。
例えフロアが一杯になっていなくても、
ドアの前で入りたがっている客を並んだ順ではなく、ドアマンに選択させたのです。
例えば黒人が 5 人は入れば白人を 5 人。
見るからに裕福そうな連中が入れば、その反対の人間を、と、
今までのクラブとは違い、列を作らせずにドアの前に群がらせ
「はい、そこの 5 人入っていいよ」「次はそこの 5 人」と
ドアマンに指名させました。
それによって人種やタイプの偏りをなくしたのです。
 
 また、ただ単にダンスフロアとバーではなく、
個室やソファなど会話のできるスペースも充実させました。
その試みは成功し、次々と新しい文化が創造されました。
才能ある芸術家はロビー活動にも成功し、スポンサーを獲得。
アンダーグラウンドな文化が一気にメジャーに躍り出るきっかけも
クラブから発信されました。
 
例えば、ある日彼らのもとに
「僕のグラフィックアートを見て欲しい」と売り込んで来た
若いアーティストがいました。
彼もまたビルの壁などに表現してきた無名のアーティストでした。
何度断ってもしつこく来るので根負けし
「わかったからそこの壁に書いていいよ。ただしノーギャラね」
とクラブの壁一面に書かせました。
それを見たアップタウンのスポンサーに「おもしろい」と言わせたのが、
世界的なアーティストとなったキース・ヘリングです。
 
 とても興味深いエントリー。
1980年代当時のクラブの「ドアマン」の存在ってのは文章で読んだことがあるけど、
ドアマンが人種や階層(客層)を分散させる装置になってたってのは
寡聞にして知りませんでした。

 当時のNYのように、人種のサラダボウル状態で、
階層がなかなかmixしない場所だからこそ
こういう仕掛けのある場所を作るだけの価値があったってことかな?