ゲーム評論不在の日本で,評論の場を興す試み。GLOCOMのRGN

http://www.4gamer.net/news.php?url=/news/history/2006.04/20060421235540detail.html
4Gamer.net
 先日行われた、「コンピュータ・ゲームにおける死の表現をめぐって」の
詳細なレポートです。
関連リンク:Critique of games - メモと寸評:死の表現関連 言及していただいたもの
http://d.hatena.ne.jp/hiyokoya/20060411
 
 相当濃い話、ややころしい話なんだけど、
関連リンク含めて興味深い話なのでぜひご一読を。
 
「死」を生物学上の死亡(いわゆる機能停止)とみるか、
それ以外の「死」と考えるかで、相当差が出てくる。
 民俗学的な意味での「死」*1や、
(西洋の)宗教学的な意味での「死*2」を考えるか、
はたまた機械やPCの「死亡*3」のことを考えるかとかで、
相当ややこしいことになります。
 また、ビデオゲームのなかの「死」を考えることそれ自体が、
ビデオゲームの世界での死を考察することに繋がったり、
ネトゲ内のようなボーダーライン的な世界での「死亡」や
「永遠の失踪*4」を考えさせられたり、
色々読んでて参考になるし、「ためになる」感じです。
 
 あ、初期ビデオゲームの「死」の"そっけなさ"は、
なんとなくそれはそれで他人事感がリアルな感じがして好きなんだけどな。
 

*1:戦時中の日本では「死」ぬと"御霊"にされて、靖国神社とかに祀られる。

*2:もちろん、これは復活祭のような「植物・動物的再生」や裁きの日のようなものを前提としての「死」。西洋は未だに土葬なんだよ。

*3:再起動やパーツやHDDデータすげ替えで復活する系。

*4:アカウントデータだけがかろうじて残ってるけど、すでにプレイヤーがゲームに興味を失ってゲーム内で活動していない状態。「脳死状態のようなもの」。これ、古めのネトゲとかだと、結構多いと思う。