大量生産される「一品もの」

http://www.alles.or.jp/~spiegel/200511.html#d20_t1
『辺境から戯れ言』
 


ハードウェアというのは「開発」と「製造」が明確に分離されている。
何故なら「開発」に必要なノウハウと「製造」に必要なノウハウは相容れないからだ。
「開発」というのは如何にリソースを投入してものを「創る」かということが問われる。
一方,「製造」はより最適化されたリソースとプロセスでものを「造る」ことが問われる。
「大量生産」は製造工程の最適化の結果のひとつだ。
しかし,より安価で大量にものを造るために
莫大な開発コストがかけられていることを考えたことがあるだろうか。
 
ソフトウェアにはそういったものがない。
何故ならソフトウェアは基本的に「一品もの」だからだ。
ソフトウェアは(ハードウェアに比べれば)格段に安いコストで
自身を正確にコピーすることができる。
つまり「製造」について頭を悩ませる必要がないのだ。
少なくとも20世紀末まではそう思われてきた。
しかし今ではそうではないことが分かっている。
 
(中略)
 
ソフトウェア業界から見た「オープンソース」の効用は
「開発」と「製造」を分離できる点だろう。
開発と製造を分離し,
開発はオープンソース・コミュニティーで行い製造工程で品質保証を行う。
製造工程で得た情報はオープンソース・コミュニティにフィードバックする。
いったんこのサイクルが出来上がると強力だ。
このサイクルがうまく回るためには
開発現場(=オープンソース・コミュニティ)と
製造現場(=ソフトウェア企業またはユーザ企業)と
消費者が密に繋がる必要がある。
だから IBM をはじめ大企業はこぞって
オープンソース」に参加(コントロールではない)しようとする。
日本の企業(多国籍企業以外)でこれができてるところがどれだけあるのやら。
 
製造の現場に geek がいないのは geek を正しく評価している証拠だ。
製造の現場に開発のエキスパートを置いても役に立たない
(製造においてもエキスパートであるというなら別だけど)。
geek たちがやっていることに製造の現場が追いついた頃には
彼らの興味はとっくにあさっての方向を向いているだろう。
むしろ開発と製造をチャンポンにしてどちらも中途半端なものしか創/造れない
現場の経営にこそ問題があると考えるべきだ。