批評とお金とそのまわりの関係

 波状言論5号(有料メルマガ)の北田暁大さんと東浩紀さんの対談
リベラリズム動物化のあいだで」より。
 この文章を読んで、いわゆる「ニューアカ」と建築の関係の微妙な部分や、
昨日の会田誠さんのメディアアートに対する発言の深さが
よりはっきり解ったような気がします。


東:そう。建築批評というのは、まさに批評の名を借りた広告として機
能していたわけですね。しかもそこで動いている資本は巨大なわけです。
スノッブな建築業界も、一皮剥けば土建屋でありゼネコンなんですよ。
設計事務所は施工業者を騙すために、業者はクライアントや地域住民を
騙すために「高級」なプレゼン資料を必要としており、批評家や思想家
はまさにその資料の製作のために高報酬でシンポジウムに招かれる。こ
の構図は、学生の僕にもかなりはっきりと見えてしまった。実際、例の
『Any』シリーズは某ゼネコンが資金を提供していたはずです。そして、
そういう構造は、実はハイカルチャーではみな同じなんですね。ずっと
あとになって、村上隆さんのスーパーフラットに絡んだときにもまった
く同じことを感じた。だから僕は離れてしまった。