ビデオゲームと「補正」について。

 怒首領蜂(大往生)での自機当たり判定に代表されるように、
ビデオゲームでは、プレイヤーにビデオゲーム的快感を与えるために、
あるいは技術的・視覚表現の限界から、
見かけと判定(実質データ)が異なるようなさまざまな「補正」が施されています。
 古くはスペースインベーダーの名古屋打ちなんかも判定補正の産物ですし、
最近の弾幕シューティングゲームの当たり判定や、
テトリスでの赤い棒の出るタイミングやブロックの吸着具合とか...書いててきりがないな。
 ともあれ、そうやって「サポートしてもらうと心地よい」ということが色々あるわけで。
まあ、マニアの場合はそのビデオゲームでの補正まで考慮して徹底してつめていくのですが、
そのときでも、実質データと視覚のずれはある程度知覚していて、そこも快感の一要素になる。

 Rezの場合は、それまでの補正は視覚だけだったのに、
音(効果音)で補正をかけてもらうと心地よいということを発見して、
それを、ゲームの形に(とりあえず)落とし込んだことが素晴らしいわけです。