カラーブレイキングとは

http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%AB%A5%E9%A1%BC%A5%D6%A5%EC%A5%A4%A5%AD%A5%F3%A5%B0
はてなダイアリー


画面が激しく動くと、
目の中でRGBの各色の残像がうまく重ならずにずれてしまう。
すると、ずれた部分の色がノイズとして認識されることになる。

 この「画面が激しく動く」という状況には、
「被写体が高速で動く」「カメラ自体が高速で移動している」などといった
映像に起因する要素のほかに、
「頭を振る」「目を素早く動かす」「瞬きをする」などの
観る者に起因する要素までもが含まれる。
それ故、カラーブレイキングがどの程度見えるかについては
大きな個人差があるといわれる。
特に動体視力の良い人や無意識に目をよく動かす人ほど
顕著に見える傾向にあるようだ。

 あ〜、だからモッシュしてる時によく見えるのか。
 
 自分がクラブで撮ってるときの光源の「使い方」のひとつ。
ブレイクダンスみたいでw格好いい名前だけど、
プロジェクターを作る側からすると、相当やっかいな問題らしいです。
 

映画「RIZE」のDVDを見終わった。

RIZE [DVD]
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 本編は、ドキュメンタリーとしてかなりいい出来です。
なによりダンスバトルが圧倒的に凄くて、見ていて楽しめる(というか圧倒される)。
そして、ダンスの周囲についてかなりいいところまで撮れている。
町の(黒人)教会内でのダンスシーンのような光景は初めて見ました。
 
 また、監督のコメンタリー(副音声解説)が
面白いドキュメンタリーを"撮る気構えの参考"としてとても参考になるし、楽しい。
「古典的王道ミュージカルの作り方」って言い回しは、なるほどと思いました。
 

最近、撮影中にしばしば目元がかゆくて仕方がない。

 かゆみってのは、痛みの軽いのなんだけど、
花粉症なのか、目の疲労なのか、
それともカメラのファインダー近辺の汚れの影響なのか…。
今度、一気に手持ちのカメラをアルコールで掃除しよう。
 
追記:
 キーボードを消毒用アルコールで拭いたら、手垢で真っ黒に。
頑張って何度か拭いたら、文字の色が白っぽく変わりました(マジ)。
原因はこれかなぁ?
 

新書『搾取される若者たち―バイク便ライダーは見た! 』

http://d.hatena.ne.jp/idiot817/20061021/p1
日々日報
 
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注目すべきは、このルールは
経営者がライダーをつなぎとめるために巧妙に考えだしたものなどではなく、
とくに理由はなくなんとなく採用されていたルールにすぎない、ということ。
しかし、この3つのルールが存在することによって、
若者の職場はなかば自律的に
ワーカホリックライダーを生み出すようになっていく。
(詳しくは本でどうぞ)
 
使用者の上からの命令ではなく、
職場のヨコの関係から過剰労働に陥ってしまう
 
 これ、「過剰労働」「ワーカホリックライダー」を
自律的に生み出すシステムの方が"経営的に圧倒的に効率がいい"ために、
他のシステムを駆逐して残っていってしまった可能性はないだろうか?
(逆に言えば、ワーカホリックを"生み出さない"システムでは
そもそもコスト的にも成立し得ない職なのかもしれない。)
この辺り、とても気になるので買って読んでみようかなぁ?
 

特に印象深かったのは、
顧客の大半である一流企業やIT企業に書類をとどけるたびに、
ぬくぬくといいとこ(のようにみえるところ)で仕事してる「あいつら」と、
ブルーカラーである「俺たち」の圧倒的な差を感じ、
しかし路上では「バイク便ライダー」として
すり抜けなどの卓越した運転技術によって
タクシーの中にいたりするホワイトカラーよりも優位に立つことができる。
「バイク便ライダー」としての自己を演じることで、
ライダーとしての誇りを持つようになり、
よりライダーに「はまっていく」という構図。
「ハマータウンの野郎ども」のようだ。
 
 ○○という所属に「誇りと共に、はまっていく」感覚。
 
追記:
 ネット上に、同じ筆者がまとめたっぽい、
とても優れた別記事があったので記載。
 
http://v000085201.securesites.net/ronza/story/200610_2.shtml
若年労働の現場2[ケアワーカー]気力と体力勝負の「聖職」
阿部真大:OPENDOORS:雑誌:論座

ユニットケアの労働とは、長く携われば携わるほど、
サービスがエスカレートしていく労働なのである。
ケアの世界では、「自発的な」サービス残業は当たり前である。
 
(中略)
 
目の前には傷ついた人々がたくさんいるのに、圧倒的に人手が足りない。
でも、ひとりでも多くを助けたい。
自分のことなんてかまっていられない……。
彼らは、自分が疲弊しきって燃え尽きるまで人を助け続ける。
しかし、自分が倒れたときには誰も救いの手を差し伸べてはくれない。
こうしたことをすべて承知したうえで、
しかし、今、目の前にいる人を助けなくてはならないと考えるのが
ケアワーカーたちだ。
 
(中略)
 
いずれにせよ、
若者の良心と待遇、そして将来を削りとることでしか支えられない
ユニットケア」という仕組みそのものが、
長続きしないものであることを私たちは認識すべきだ。
若き「ワーキングプア(働く貧困層)」によって担われる
「豊かな」福祉社会などという不気味な未来がやって来る前に、
「相互行為としてのケア」という言葉のもつ意味を、もう一度考え直す必要がある。
 

ハードワークで、あまり儲からなくて、お先真っ暗だけど、労働者に「誇り」を感じさせることで成立させている仕事。

 
 こんな仕事って言うか、こんな「業界」、
シラフで考えると長期的には持たないよな。
…ちょっと色々と考えてしまった。
 
 労働者が長期的に持たない労働環境の業界、特にサービス業の場合は、
必然的に「ノウハウ」の蓄積された優れた労働者の現場定着が難しくなって、
それ故に製品・サービスのクオリティ維持が難しくなりやすい傾向がある。
 教育コスト・ノウハウ蓄積のメリットを考えると、
マクロ的に見れば大損してるんじゃないかなぁ?
 
 それとも、「非熟練労働者の程度のクオリティ」であることに、
コスト的にも意味があるのかしら?
 

住所でも出発地・目的地に設定できる乗り換え案内「Googleトランジット」

http://www.new-akiba.com/archives/2006/10/google_34.html
にゅーあきばどっとこむ
 携帯で無料でお手軽にできるのはなかなか無いので、
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