『現代芸術自主補講講座』(黒瀬陽平、藤城嘘、谷口創)レビュー01・02

http://d.hatena.ne.jp/haradayuki/20091121/1258781077
http://d.hatena.ne.jp/haradayuki/20091124/1259064646
原田裕規 / Yuki HARADA (1989~

 個人的に引っかかったのでメモ。


ここで挿入された話題はつい先日まで池袋駅西口で行なわれていた
「個室都市東京」という、マンガ喫茶の形態をとったアート(演劇?)イベントであったが、
このイベントは端的に言って「都市のエンターテイメントが限りなく風俗産業に似てきている」とのことで、
それはポストモダンのジャンルの細分化問題に通じるヒントであるらしい。
 
というのも、先述した藤城さんの活動の中で展開されたpixiv出身のアーティストに対して、
魅力的であるがそれぞれが個室に入ってしまっていること、
つまり彼らにはバックボーンがなくていま非常に危うい状況の中で表現をしている事実があるからだったし、
これはさっきの大竹さんに対する指摘とも重なっていた。

(略)
 
しつこくおさらいすると「悪い場所」というのは「記憶喪失」
(そこではいくら掘っても記憶が出てこない)のことであって、
大竹さんの作品(ここでは先述の楽器の作品を指す。
これは「日本ゼロ年」展にも東京都現代美術館の「全景」展にも出品されている)の重要性というのは
それが持つアーキテクチャ、つまり「使える記憶をどうやって探すか?」であると思う。
 
これを藤城さんに落とし込んで考えるならば、
カオスラウンジのアーティストたちはバックボーンを持たないがゆえに非常・高純度に正確に動いていて、
個々で危うい彼らの作品を「集合知」的に参照することが出来るのではないかという方法であって、
それは実は既にある程度の部分で行なわれている、という話だったと思います。