拘束のドローイング・散逸のフォトシューティング

 
 自分用メモ。
 Photography(写真…なのかなぁ)の特性として、
写真機やプリンターなど機材が持っている何かの流れにすんなりとのっかっていくと、
なぜか雪山とか桜とかのネイチャー絶景撮影にいってしまうか、
王道ファッション系演出写真のような流れにいってしまうきらいがある。
こういう人の撮影機材選びは、登山家の道具選びのように、非常にリーズナブル。
 
 今どきのセットアップ系作り込み*1や、
いわゆる「カメラ日和」とか系列の写真ってのも、そこからの派生のような感じで、
写真機や撮影画像と自分との関係を安心して保っていられる感じがする。
自信を持って、安心して、「これが自分の作品ですよ〜」と言える感じ。
 
 でも、Photographyの面白さはそれだけじゃないんだなぁと思うところもあって…
 機材の流れを理解しつつも、
「一般的にはそれに見合わない使い方」で起こる違和感も表現としてあったりする。
自分の場合、そのミスマッチ感を色々楽しみながら撮影しているきらいが時々あって、
そこいらの悪ノリがうまくあってくると、波は色々あるものの、面白い成果がでてくる。
 出力のバランスはあまり安定しないというか、正直言って良くないんだけど、
数を大量に(偏執狂的に)捌いているので、結果としてはある程度のクオリティのものが色々溜まってくる。
 
 ただ、それは、自分の作品というよりも、
「なんか色々撮っちゃった、どうするよ?」って感じ。
自分で扱いきれない不気味なものが色々残っているというか、
その不気味なものの部分まで含めて色々成り立っているところとか。
 
 例えば、自分の慣れた撮り方ではないはずのやり方でやってると時々現れる画像。
 シャッター押しているのは確かに自分のはずなんだけど、
実際に出てきた出力の画像を観ていると、さっぱり見当が付かないというか、
自分の実力の3000%くらいブーストしている感じのけったいな代物が、
カメラとの相性とか出会い頭の偶然とか、で出てきてしまうこともある。
 
 酒が抜けた翌日の夜と、数週間後で何度か見返して、
思わず、どうしようかと悩んでしまうような元画像。
 まあ、数千枚の撮影画像のなかから選んでいるだけあって、
大抵、自分の中ではスコンと抜けているんだろう(と信じたい)画像なんだけど、
他者の評価や、将来の自分の評価はさっぱり見当が付かないような代物が出てくる瞬間が、
デジタルで写真撮っている故の妙な高揚感があって、なぜだかクセになるんだよなぁ。
 
 

*1:ファブリケイテッド・フォトグラフィ Fabricated Photography