「それはたしかに画期的な道具ではあったけれど、そのすごさは技術的なものと言うよりは、今ある技術を「組み合わせていい」という、政治的な決断にあった。」

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自動体外式除細動器のこと - レジデント初期研修用資料
 


自動式の除細動器はたしかにすばらしい機械なんだけれど、
あの機械のすごさというのは、
「技術的には全然すごくない」ことにつきるのだと思う。
(中略)
 
除細動器の技術自体は、1970年代には実用化されていたし、
心電図の自動診断もまた、自分たちが研修を始めた10年前には、
もう当たり前のように心電図モニターには搭載されていて、
「診断する心電図モニター」は、すでに救急車内にあった。
 
AED はだから、技術的に何か画期的な進歩の成果として登場したわけではなくて、
「ありもの」の技術を組み合わせただけ。
それはたしかに画期的な道具ではあったけれど、
そのすごさは技術的なものと言うよりは、
今ある技術を「組み合わせていい」という、政治的な決断にあった。
 
アメリカでAED が認可されて、「外圧」が生まれてからの動きは本当に速かった。
 
(中略)
技術それ自体は案外何も変えないけれど、政治決定は時に大きな変化を生む。
 
大切な政治決定が国内で為されることはほとんどなくて、一番大切な決断は、常に「外圧」の形で輸入される。
 
結果オーライではあるけれど、10年かかった。
 
新しい薬だとか、技術を開発するのではなくて、
「ありもの」の技術を転用するやりかた、
組み合わせるやりかたで解決できる問題は、まだまだたくさんあるはずだけれど、
その決定が日本で為されることは、たぶんないのだろう。

第二次世界大戦頃から今に至るまで、そのへん本当に何も変わっていないな、とか思う。

 
 ここまでくると、
外圧をキャッチしやすくする*1というのは、
「国の政策」の一環として必要なんじゃないかなぁという気もしてきます。

*1:そこから政策に反映されるかどうかは別として