「痛い」人間が癒しとして持ち出した「政治」は、機能するのだろうか?
http://d.hatena.ne.jp/yasudayasuhiro/20070914
原野商法1997 - セクトといえば少女セクト Part.A
この日記、面白いです、特にタイトルとプロフ。
これでしょ。
ユニクロの服と、ミズノのスニーカーで十分だ。
文章も、煽り文句バリバリなんで、
ある程度割引いて考える必要はあるけど、
政治と(政党・党派っぽいものと)「痛さ」ってのは、特に今の日本の場合、
「痛い」人間が癒しとして持ち出した「政治」は、
機能するのだろうか?
500人をアキハバラに終結させた「政治」は、
たった2ヶ月の間に空中分解してしまった。
まず「痛さ」について考えなければならないのかも知れない。
そこからしか、何も始まらないような気がする。
もうちょっと深く考えていった方がいいと思ってる。
そうしないと「だめ」をさらにこじらせていく気がする。
何度も何度も書いていることだけど、
政治ではなくて運動なら(短期的になんとか)いけそうな気がするんだけど、
そこから「政治」に持っていく段階でなにかこじれが生じてるんだ。
その原因が何かは、いまのところわからない。