「ネットの世界では、そうした名前の蓄積が言論活動における重要な要素のひとつだと私は考えている。」

http://blog.japan.cnet.com/sasaki/2007/01/post_10.html
CNET Japan Blog - 佐々木俊尚 ジャーナリストの視点:
毎日新聞連載「ネット君臨」で考える取材の可視化問題
 


一読して、悪意のある表現であるのが分かる。
そもそも新聞で匿名の人物を描く際、
「男性」ではなく「男」と表現するのは、
その対象者が犯罪者かもしくはそれに準じるような反社会的人物であると
新聞側が判断した場合に限られている。つまり毎日新聞
「がんだるふ」氏を、反社会的人物であると判断したということだ。
とはいえ、一問一答の中身自体は決してがんだるふ氏を批判しているわけではない。
このあたりのレトリックは新聞記者が好んで使うもので、
一見公平に見えながらも、実は意図をその文脈の裏側に忍ばせるという手法だ。

(中略)
 
そうやって取材は延々と三時間にも及んだ。
がんだるふ氏は振り返る。
「これらの質問の主導はT記者であり、
議論をふっかける感じで、失礼な態度だった。
私の失言を誘い、言質をとろうとする質問が目立ってました。
それで僕は
『こうした質問に乗せられたら、はめられてしまうかもしれない』と考え、
懇切丁寧に移植問題や移植募金の問題、さくらちゃんケースの問題、
実名と匿名について、ウェブの特質、
ネットワーク文化等について話したんです。
僕は途中から、この人たちにきちんと教えてあげようと
レクチャーのつもりになっていて、
カフェの周囲の席にいた人たちは、
ゼミの先生が学生に講義しているように見えたかもしれないですね(笑)」
 
(中略)
 
がんだるふ氏は毀誉褒貶相半ばする人物だが、
しかし八〇年代からパソコン通信ニフティサーブ」などで言論活動をしてきて、
ネット世界では有名人のひとりである。
ニフティのフォーラム「FJON」(オンラインジャーナリズムフォーラム)や
「FSHISO」(現代思想フォーラム)などに参加していた
古いネットユーザーであれば、
がんだるふ氏の名前を覚えている人は少なくないに違いない。
私もニフティ時代のがんだるふ氏の活動は、懐かしく覚えている。
そうやって彼は同じ「がんだるふ」という通名をこの二十年にわたって使用し、
言論のアーカイブも蓄積され、その中で一定の地位を保ってきた。
その意味で彼の「がんだるふ」という名前は確かに実名ではないけれども、
ネットの世界では限りなく実名に近い名前だ。
 
 ネットの世界では、そうした名前の蓄積が
言論活動における重要な要素のひとつだと私は考えている。
どこの誰か−−会社の経営者なのか大学教授なのか、
あるいはフリーターなのかニートなのかはいっさい問われないけれども、
しかしその人物が過去にどのような発言をし、
どのような言論の蓄積を行ってきたのかということは、
きわめて重要な言論のファクターだと思う。
完全にアーカイブからも前後関係からも切り離された
秀逸な言論というものももちろん存在するが、
しかし過去のアーカイブによって
その言論がどのようなコンテキストによって支えられているのかを知るということは、
ネット上の議論の中では必要な要素ではないかと私は考えている。