さよならコピーレフト

http://opentechpress.jp/opensource/06/06/01/049211.shtml
Open Tech Press
 


 複製や頒布に制約を加えない限り、自由に複製や頒布を行ってよい、
というのは、立派な「頒布の制限」である。
 
 しかし、ソフトウェアがサーバでのみ実行されるならば、
そこにソフトウェアの「複製」も「頒布」も介在しなくなる。
サーバから送られてくるのは処理済みのデータのみだからだ。
こうなるとコピーレフトは全く無力である。
著作権法ではソフトウェアの実行自体はカバーされないからだ。
(中略) 
コピーレフトが実質的に機能しなくなると、どういうことになるだろうか。
おそらく、ソフトウェアのブラックボックス化が、
今までとはやや違った形でゆっくりと進んでいくだろう。
手元に実行形式があるのに、プロプライエタリだから
ソースが見られない、のではない。
 
 そもそも何も頒布しないからソースが見られないのだ。
しかしソフトウェアを実行した結果はユーザに手に入る。そんな世界である。
これはコピーレフトが実質的に無化された世界と言っても良い。
 
これは歓迎すべきことなのだろうか。
一般のユーザにとってはあまり関係の無いことだろう。
しかし、あるソフトウェアが実行できるのに、ソースが見られないというのは、
結局のところプロプライエタリへの先祖返りに他ならないのではないだろうか。
私たちは、そのような世界を目指して
オープンソースだのフリーソフトウェアだのといった旗を振ってきたのだろうか。