「すべてロジカルにわかったことにしたい」という強迫観念

 「すべてロジカルにわかったことにしたい」という強迫観念
ってのは、西洋的なモダンな文脈のなかで確実にあって、
それが、啓蒙とか探索とか美術とかデザインとか、
錬金術とかインテリジェントデザインとかに脈々と受け継がれている感覚で、
「小説」という世界を書くときにはそれをさらに半回転ひねりさせた、
作者は全て知ってる(と錯誤している)状態ってのが、求められるのかもしれない、
近代小説とか、特に、全体小説と呼ばれるジャンルではね。
最近だと、WebにおけるGoogleの動きは本気でそこを狙ってる。
 
 なんだ、これはアレゲだ、写真じゃまずあり得ない。
そうありたいと欲望する対象ではあるけどね。