殺され役

http://deztec.jp/design/05/12/07_children.html
徳保隆夫趣味のWebデザイン』:最近の備忘録
「都合のいいときばかり子どもに憧れる大人たち」


「先生にも間違いがある、
だから疑問・反論があれば、どんどん発言しなさい」と、
多くの先生が語ってきた。
私は真に受けて、バリバリ反論し、異論を提出し、
自分が本当に納得するまで一歩も引かずに戦うことを繰り返してきた。
8割以上、私の負けである。
私は先生方に可愛がられることが多かったが、
他の生徒は「授業妨害は放課後にやれよ」と、
いい顔をしないことが多かった。
 
目下の者、自分が御せる相手の生意気は、可愛い。
対等の相手の生意気は、ムカつく。
本来は目下の相手が制御不能の生意気ぶりを発揮すると、
ぶっ殺したくなる。
 
自分の正しさが確実で、説得の材料も十分なら、よい。
しかし確実な根拠を持たない者同士が意見をぶつけ合っても、
メリットがない。
satoshi さんが、おかしいと思ってもそれを口に出さなかったのは、
少なくとも日本に生きる大人として当然の知恵だった。
「たぶん違うと思う」程度の理由で、
いちいち疑問を提出するような人は、嫌われる。
謙虚さに欠けているからだ。
自称であれ、ワイン通はワイン通である。当人に、その自負がある。
生意気なことは、控えた方が安全だ。
 
 「こういう雰囲気」に慣れ親しんでいる人ってのが大量にいる空間ってのは、
「わけわからないけど、なんかすごく面白いこと」なんてのが
まったくもって生まれにくい場所だと思う、そういう意味では、
たぶん私は3000回ぐらい(推定)私の見えない場所で殺されて、
少なくとも私の知っている限りで10回程度は露骨に殺されかけていて、
いつの間にか洒落にならない「階段落ち*1」をしたことは
リアルで何度かあるかもしれない。

 
 しかし、この話題を持ち出すときに*2学びの場を例えに上げるのは
日本で学ぶということを限定して考えると、なんかひどく悲しくなってきます。
"他の生徒"のような体験ばかりだとそりゃ身に染み付く学じゃないだろうし、
"他の生徒"は先生からそりゃ好かれませんよ、
反応のない「空気」相手に話すのはしんどいでしょ。
 
 その点、阪大日本学でのゼミでは場が盛り上がると、
予想外の場所から予想も付かない発言・視点がじゃんじゃん出てきたなぁと。
 

*1:蒲田行進曲」参照

*2:おそらく大学の「ゼミ」だろうけど…訂正:徳保隆夫さんからのコメントによると、中学・高校の授業を想定しているそうです。ご指摘感謝します。