法に抗っての進歩:アメリカにおける日本アニメの爆発的成長とファン流通、著作権

http://cruel.org/other/animeprogress.html
(情報元:2chの某スレ、「自衛隊とオタク」関連の内容から。)
 
 1980年代半ばから存在していたという、
「米軍定期アニメ便」についての記事が載っています。
日本のアニメのコピーVTRが、
日本の在日米軍から米軍三沢基地発の軍郵便経由で
アメリカのアニメファンたちに転送されていたという濃い話題w。
 面白いので是非全文読まれることをお勧めします。
 


 でも日本では、別のファンネットワークが形成されつつあった。
それを率いていたのはジェイムズ・ルノーとC/FO Rising Sun のファンたちだった。
ルノーは、外国で育ったことでアニメに触れた。
かれの父が軍人で、1960 年代から 1970 年代にかけて立川空軍基地と、
後に日本北部にある三沢空軍基地にいたのだった。
若い頃は日本人の乳母がつきっきりだったし、日本のテレビもたくさん見た。
日本のペンフレンドとの興隆も深め、
一家が空軍基地で初めてベータマックスを所有するようになってからは、
かれらにアメリカのテレビ番組を録画して送ってあげた。
 
 ルノーの階層では、1970 年代後期にはアメリカのペンフレンドたちと
しょっちゅうテープを交換していたとか。
自分が見るつもりのないテープでも、家族が他の軍人たちと交換したり、
日本人で欲しがる人がいたりした。
たとえば、アメリカのテレビシリーズ『ダラス』のファンは、
三沢空軍基地ではそれを見る手段がなかった。
ルノーは最新の"Who Shot JR?" テープを基地の他の人々に提供することで、
他には不可能だったようなアメリカ本土との結びつきを作ってあげたのだった。
 
(中略)
 
 ファンネットワークの草創期に、
テープをコピーして発送する活動に関わっていた人の多くは米軍関係者だった。
あるアニメが日本からきていて、日本人が発送したのでなければ、
それを流通させたのはたぶん米軍の人だったろう。
日本にいる軍関係者以外のアメリカ人は少なかったし、みんな仕事をしていた。
もちろん例外はいた(たとえば翻訳家兼著者のフレッド・ショット)が、
多くは別に日本の大衆文化にひかれて日本にきたわけじゃない。
 
 軍人からのテープは、軍の輸送網を通じて送られ、国際郵便で送られたのではなかった。
だから郵便局は、アメリカ向け郵便すべてに
「San Francisco, CA, APO」という消印を押した。
だからC/FO会員の多くは、Rising Sun 支部の連中は
サンフランシスコ在住なんだと思っていた。
Rising Sunのメンバーたちは、一日で小包をカリフォルニアまで送れたからだ。
実はすべてのテープは、トラヴィス空軍基地向けの貨物便に乗って届いたのだった。
 
 ルノー率いるC/FO Rising Sun は、米軍流通技術を自分たちの活動にとりいれた。
スミスはフルタイムで受発注処理を行い、ルノーはパートタイムで供給側を担当していた。
ルノーはその技術を、要求に応じてテープを作るのに使った。
これにより週に 40 本以上のテープを生産できた。
ルノーは1993年にファンサブ集団テイボク・ファンサブズで活動したが、
そのときにも物流知識をテイボクの配信活動に追うようした。
この手法を他のファンサブ集団や流通グループに教え、
みんなのテープのスループットが最大化されるようにした。
 
(中略)
 
われわれはテープを配信したアメリカの軍人たちは、
政府の一員としての公的な職務で活動していたのではないと結論づける。
配信者が軍のリソースを大量に利用していたという観点から
これに反論することは可能である。
配信者たちは軍の郵便システムを活用し、基地における消費財を利用し
――その証拠としては、配信者たちは
基地で売られていたテープしか使わなかったという記述を参照――
軍で受けた教育を活用した。
それでも証拠によれば、配信者たちは勤務時間外に活動し、
すべての物質的なリソースについては政府から直接の補填を受けることもなく
自分で支払いを行い、上司の指揮の下で活動したわけでもなかった。
米軍の軍人が、日本の基地に駐留することで軍としての公的な任務につきつつ、
逆文化帝国主義を支援してその一部として活動していたというのは何とも皮肉である。