ゲームマニアのゲーム離れ
http://amanoudume.s41.xrea.com/cgi-bin/mt/archives/000293.html
『発熱地帯』: 「変化する市場」
良質の(スタンドアローンタイプの)テレビゲームの抱える致命的な問題点って、
ある程度の腕のある人がだらだら状態で長時間ゲームをやり続けると、
そこから出てくる結果がプレイヤーに「大体、読めてしまう」こと。
労力と成果のバランスがある程度読めるというのは解りやすいけど、
ある程度反復すると飽きる*1。
私が古めのテレビゲームをやりたいときは大抵、ある程度の反復を
期待してゲームを開始するわけだけど。
埠頭での釣りとか、自動車(峠などの走り屋とか)とかスケートボードとかの娯楽の場合、
成果は少ないのに行動を反復するってのはどういう快楽なのかなぁ?
ここはすっごく意地悪い書き方だと思う。
もちろんスコアアタックの楽しさが無くなっていないように、
集める楽しさやストーリーを追いかける楽しさが無くなるわけではありません。
多分ゲームの作り手としてネタばれを(ry (w。
TVゲームの面白さっていうのは、
成果というよりむしろ成果(のようなものw)を得るために行動する
「過程」への意味づけをそれっぽく与えるという要素があるんじゃないかなぁ。
http://pop-site.com/column/col040501.htm
http://pop-site.com/column/col039901.htm
成果そのものが欲しければ極端な話、PARと改造コード使うとか、
DSって、辻褄が合っていない不条理な内容のゲームが非常にしっくり来るような気がした。画面にタッチして遊ぶということ自体に何らかの不条理性や馬鹿らしさが含まれているからなのかもしれない。
ネタばれサイトを見ればいいわけで(w。*2
そう考えると、スコアアタックや収集をTVゲームの楽しさのひとつと考えると
RMT(リアル・マネー・トレーディング)は全然「あり」になるかも。
釣りの道具に金をかけるとか、峠のタイムアタックにスーパー7持ち込むようなもの。
ただ、それだと、(ゲームバランス崩れや「外国人労働者問題」だけではなく)
なぜあれだけRMTがプレイヤーから嫌われるのか?が納得いかない。
現在のMMORPGは労力(コスト)主義の究極形ですが、ゆえにいわゆる「廃人」問題にこの思想の問題点がよく表れている、ともいえます。オンラインゲームは大量時間消費型から別の形態への移行を模索している最中ですが、同様の変化がコンシューマーゲーム一般に起きていくのでしょう。