昨日はGAP(ゲームアーカイブプロジェクト)の勉強会に行ってきました。

http://www.kyoto-one.ad.jp/gap/
 大塚英志さんの本の話と、東浩紀さんの『動物化するポストモダン』の話が出てきて、
大きな物語>小さな物語。データベース的消費というおなじみの話が出て(それはどうでもいい)、
その10分ちょっと後に出てきた細井先生の発言が気になったのでメモ。
 
で、メモの前に、
http://park8.wakwak.com/~hello-w/jojo/#20031116
http://www.ugo.com/channels/freestyle/heroMachine/heromachine.asp
これがデータベース的消費のベストな笑える説明方法ということ。
本読むよりもずっとインタラクティブにいじれて、判りやすくてしかも笑える。

 

 大きな物語>小さい物語>データベース型消費という話は、
実のところもう終わりそうで、そろそろ次は、
「手に負えないほど大きすぎる物語(例えばイラク問題の、長い間にごちゃごちゃに絡み合った歴史・政治」)とかと
「中世的な世界・物語」という形が出てくるのではと...いう展開に。
 その、大きすぎて手に負えない物語は、よほど切れる人でもなかなか扱えない。というかまず無理(泣)。
(ポストモダンには、過去の知・歴史の蓄積の重みに耐えられず知が内側から自壊した一側面もあったりする。)
 
 しかし、ここで、私自身としては、その「大きすぎる物語」をいっさい無視するなんて
真似は出来ないと言うか、「大きすぎる故の特性」をなんとか少しでも切り崩す方法がないかな〜と考えると
今の日本学でなぜか気になるローカルなライフヒストリー収集・叙述という手法は結構いけている気がします。