80年代黒歴史といえば、この視点は指摘されていないかも。

 中学高校で「校内暴力」から「いじめ」への転換が起こり
いじめによる中学生の自殺が急激に増加した(あるいは発覚していった)のも
1980年代中盤以降です。
http://www.tokyo-ac.co.jp/med/m5-jiji02-6.html

 ここで言う「いじめ」の特徴のひとつに、
ある日突然「ふつうの生徒」が「ふつうの生徒達」から
些細な理由でいじめの対象とされることです。
 当時の世論ではセンセーショナルな報道もあってか
加害者・管理者(教師、校長)責任ばかりが追求され、
学校のなかの「いじめ」を生み出す構造的問題が疑問視されることは
ほとんどありませんでした。
(主な原因は強引な管理・強制のを主な原因とする『抑圧・プレッシャー』らしいです。)
90年代頃になって様々な調査から「いじめ」の構造が解明され始めますが、
今度は(不景気もあって)社会全体にいじめの構造的問題が浸透していき
「社内いじめ」などの形で表面化していったり、
パソナルーム」などという形でその手法がリストラに利用されたり...。
 
 が、風潮のほうは、「いじめ」自体を「被害者の弱さの問題」として
いじめを生み出す構造自体を許容するような形に変化しつつあります。
 この風潮形成にはいじめの構造的問題、
(ある人がいじめを非難した瞬間にその人が次のいじめのターゲットにされる危険性が高いこと)
がからんでいるのは間違いないでしょう。
 
 最近のいじめの構造、対象は年齢・学校内外の枠を越えて
いじめは社会全体に拡散していきつつあります。
いわゆる「オヤジ狩り」といわれるものであったり
対ホームレス暴力もその変化のひとつといえるかもしれません。
http://www1.odn.ne.jp/~cex38710/network.htm
http://www1.odn.ne.jp/~cex38710/patrol.htm
 
 天王寺の著名なホームレス詩人のハウスの入り口に
『ゲームの必殺技を試す感覚で殴り殺されるのはたまったもんじゃない』
みたいな言葉が書かれています。同感。