自分の絶望が理解されないだろうという絶望

http://d.hatena.ne.jp/essa/20080617/p1
アンカテ
 
 名エントリー、最初からこちらがメインだったのかなぁ?


それは、
「誰かに見つけてほしいけど、おまえたちには見つけてほしくない」
ということです。
この「おまえたち」は、彼が経験してきた世界の中での
社会全体を指しています。

(中略)
 「誰かに見つけてほしいけど、おまえたちには見つけてほしくない」
あるいは
「自分の絶望は誰にも理解されないだろうという絶望」
といった心情を非常に強く拒否し排除しようという傾向です。
そういうことを言う人たちの心の中に、
ちょっとでも立ち入りたくないという恐怖心のようなもの。

 
 多分、「検知された」という感覚があるうちはまったくもってNG。
 
 水道や電気や掲示板システムのように、インフラになって、
犯罪予告検知システムが意識されなくなってくるような
環境管理型権力」で制御されるようなシステムになるんだろう。
 
 これは、本気でやるとすれば、
未踏プロジェクトでやるような仕事になるんだろうなぁ。
 

「自分の絶望は誰にも理解されないだろうという絶望」が
自分の中にあると私は思っています。
そして、それを共有していることによって
誰かとつながれるという希望は持っていません。
この二つの問題提起は
「話せばわかる」と安易に共感することを
予め封印しておくような構造を持っていて、
私はそこに共感します。
 
私が思うのは、
社会はそういう心情を受けいれる寛容さを持つべきだということです。
それが最もローコストで効果的で副作用の少ない
セキュリティ対策になると考えています。
 
 「話せばわかる」と安易に共感できない部分で、
どうすれば、ちょっとした風通しを起こすことができるのか?
共感はできなくても、情報伝達が行われている時点で、
困難ではあるけれど、なにかしらのやり方はありそう。
 
 秋葉原の無差別通り魔事件の犯人は
静岡から"レンタカーを借りて"、東京からアキバに行くまでの間、
路上で様々なインフォメーションを受け取っていたはず。
(そのインフォメーションを知覚していたかどうかは別として。)
 
 そういえば、レンタカー(トラック)の空間ってのは、
どことなくウィークリーマンションのような殺伐さがあって、
トラック運転手のほとんどが、自分が所有しているトラックの
運転席周辺をデコレーションしたり、カスタマイズしている。
 
 印象からですが、多分、こういうのは、
映画や深夜ラジオ*1が"得意"な
特殊なコミニケーション分野なんだろうなぁ?と。
独特な親密圏というか。
 

*1:TVじゃ駄目だと思う