あと50年もしたら、「家事」の意味合いが変化するかもしれない。

http://d.hatena.ne.jp/michikaifu/20070921/1190343996
Tech Mom from Silicon Valley - 家事ロボットの愚


家事は非定型の判断業務が大半を占め、
力仕事や定型単純作業は、便利な家電のおかげですでに比率が小さい。
だから、ロボットにやってもらうことは少なく、
従って高いお金を出して買う気にはならない。
 
 判断業務を行う必要が無くなるほど作業を単純化するか、
無駄(ロス)に使える資産が潤沢になると、
話はまた変わってくるかもしれない。
 
 ロジスティックとか、マネージメントとか、
リソースのやりくりが必要になるのは、
時間や予算が制限されているからで、
時間や予算が莫大で、ロスが「ほとんど無視できる誤差」の規模になると、
ある程度低品質でよければ、ロジスティックなしの
"力業"で対処することが可能になるかもしれない。
 
 ロボットを、メイドロボみたいに捉えると夢物語ですが、
「産業用ロボット」のような単機能ロボットという意味で捉えると、
例えば、今どきの全自動?洗濯機なんか見事にロボットしてます。
 
 手もみ洗い風の、風合い柔らかな洗濯+自動脱水なんて、
2槽式洗濯機しか無かった30年前には考えられませんでした。
食材に付いたRFIDタグを元に、(ネットから)レシピを引っ張ってくる冷蔵庫とか、
人の居る場所を赤外線で感知して温度調整をやってくれるエアコンとか、
ここ5年で生活家電のハイテク化・電子化は*1驚くほど進んでます。
 
 家事代行ロボットが全てをやってくれるにはまだ先が長くて、
ま、あと数十年はロボット単体でというより、
単機能ロボットを家事の補助役にする程度でしょうけど、
その補助機能が色々積み重なれば、ちりも積もればなんとやら。
浮いた時間を他の判断作業に回せば、ずいぶん楽になる…はずなんだけど、
なんで時間が足りなくなるんでしょう?
 
 その補助とセットで、
「お任せでいいや」というクオリティの割り切りが入れば、
かなりの部分の判断が機械任せになるんだけど…
そこで浮いた時間・リソースを別の方向に持っていかせる。
「過剰なハイクオリティキープ」に向かう傾向が、
なぜだかわからないけど、家事という作業にはある気がする。
 例えば、雑誌の「節約特集」でも、異様にクオリティが高くて、
機能としての家事ではなく、蕩尽や装飾っぽい家事になってきてる。
 
 日本の家事作業に対する世間意識って、なぜか
「手抜き(コストカット)」が起こることを嫌うんだよなぁ。
手間をかけられない場合の割り切りって、リソース分配なんだけど、
何かしら底が抜けてしまっている部分はあるみたい。
 
http://kaden.watch.impress.co.jp/cda/column/2006/10/02/8.html
コラム:但見裕子の「家電買っちゃいました」ナショナル 食器洗い乾燥機「NP-BM1」

 食洗機というものが「ぜいたく品」、「使う人を怠けさせる製品」と思われがちな商品だからだ。
導入するにあたって気が引け、一種の罪悪感をのりこえなければいけないらしいのだ。
 
(中略)
 
こういうことは今に始まったことではない。
お米つながりだと、電気炊飯器が開発されたとき
「お前は、自分のカカアが機械で飯を炊いて楽するのが平気なのか」
という批判が出たという。有名な話だ。
世の中には、「家庭の仕事が楽になる」ことに
意味もなく嫌悪を抱く人というのが、いつでも一定の数だけいるようなのだ。
 
 参考:「めどい
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%81%E3%81%A9%E3%81%84
Wikipedia
 
追記リンク:
雑種路線でいこう - ロボットにもグーグル的な割り切りを
http://d.hatena.ne.jp/mkusunok/20070922/robot
 

*1:下着の分け洗い専用の電動バケツのようなネタっぽいガジェットも含めて