「「翻訳ソフト」の存在とその進化を前提に、ソフトで翻訳されたとき意図が正確に伝わる文章の書き方を、若い世代は自然に身につけていくのだろうか、」

http://www.shinchosha.co.jp/foresight/web_kikaku/u122.html
シリコンバレーからの手紙:ショックと感銘に襲われた韓国少年とのやり取り 梅田望夫
 


たとえば私はこんなことを夢想した。
我々の世代なら「精度が悪くて使い物にならない」と
一顧だにしない「翻訳ソフト」の存在とその進化を前提に、
ソフトで翻訳されたとき意図が正確に伝わる文章の書き方を、
若い世代は自然に身につけていくのだろうか、
それが三上氏の言う「思わぬ方向からのソリューション」であるかもしれないなと。
 
 このやり方は確実にある。
  
 発展途上の、出来のあまり良くない「変換器」による出力のことを逆算して、
インプットするものを変えていくと言うか、
インプットする行動自体が"引きずられていってしまう"ってのは、
ソフト以前のメカの時代からよくあることかもしれない。
 
 それが「自然」な行動なのかはわからないし、
それによって身につけられ、表現される振る舞い自体は、
その世界にいない人から見たらあまり「自然」でないものだと思うけど、
その機械の世界に日常的に漬かってる当事者にはそれがわからない。
 
 今回、この話題は日韓の翻訳に限っての話だけど、
実際はすべての表現に関わることなんじゃないないかなぁ?