「それどころか“理解していないにもかかわらず”展覧会に足を運んだりWebを見てくれる未知の人たちがいるということが、不思議で興味ぶかいことだと思っている。」

http://dc.watch.impress.co.jp/cda/webphoto/2006/11/09/5007.html
デジカメwatch:web写真界隈「写真をめぐる言葉」:内原恭彦
 


ぼくは自分の作品が理解されないと嘆く気持はなくて、
それどころか“理解していないにもかかわらず”
展覧会に足を運んだりWebを見てくれる未知の人たちがいるということが、
不思議で興味ぶかいことだと思っている。
作者はそれ以上、何を望むことがあるというのだろうか。
 
(中略)
 
要するに理解できることはできるだけ簡単に理解できるように示すべきだと思う。
それはタイトルのつけ方であったり提示方法だったり
技術的なさまざまなディテールにかかわることだったりするだろう。
可能なかぎり明晰な作品を作るということは、
作品製作の方法そのものとして切り離せない事であって、
言うは易しで実際には難しいことだと思う。
 

自分でもこれはマズいなと思ったのは、
日ごろ写真を撮る時に「Web写真界隈」に載せることを想定してしまうということだ。
そうした段取りも時には必要なのだろうけど、
ぼくはまったくそういう撮り方は向いておらず
気分が萎縮し手がしびれるような気がした。