「本当なら、「他者性に開かれること」そのものの必要性と快楽とを語るべきであり、性愛的コミュニケーションはその選択肢の一つに過ぎない、とすべきなのだと思います。」

http://d.hatena.ne.jp/crowserpent/20060930
烏蛇ノート - 「萌え」と「恋愛」それぞれの嘘
 


 ここで私は「他者性に開かれよ」という命題自体を否定する気はありません。
しかし、宮台氏が「他者性に開かれる」ために持ち出した手段が問題なんです。
 
(中略)
 
 本当なら、「他者性に開かれること」そのものの必要性と快楽とを語るべきであり、
性愛的コミュニケーションはその選択肢の一つに過ぎない、とすべきなのだと思います。
それが難しいからといって、「女の子と付き合えるよ」という
「エサ」をちらつかせるという論法は安易であるだけでなく、
全く別の悪影響を生じさせかねません。
性愛的コミュニケーションにそもそも「向いてない」人達、
性愛が苦手・嫌いな人達を、
無意味に追い詰めてしまう可能性だってあるんです。

 他者との深いコミュニケーションは恋愛・性愛に限るものではありません。
フィクションの中の人物を「他者」として考えることは安易であり誤りですが、
「他者」との関わりを「性愛」に限定してしまうことも、
同じくらい安易で誤りなんです。