RFIDタグ搭載ランドセルの校門通過記録で仲良しグループを割り出すという小学校教諭の発想は普通?

http://takagi-hiromitsu.jp/diary/20060813.html#p01
高木浩光@自宅の日記
 


「時間順にソートして仲良しグループを割り出す」というと、
ログをExcelで並べ替えて先生が時々眺める話のようにも聞こえるが、
技術的には、言うまでもなく、毎日のログを分析アルゴリズムにかけることで、
各児童間の「仲良し距離」を日々刻々と求め、
「友達がいない」児童を発見したり、
急に「友達がいない」に変化した児童をリアルタイムに発見することができるだろう。
(登下校が同時刻であることの多い児童たちを「仲良し」と見なす場合。)
 
正直言って私の感覚では、この発想はクレイジーだと思う。
しかし、根拠を持って批判する術はない。主観的な感想でしかない。
人々はこれをどのように受け止めるのだろうか。
 
ランドセルRFIDタグ検知システムは、
立教小学校が草分けとなってマスメディアで大きく取り上げられ、
今では小学校だけでなく中学校まで含む多くの学校が「実証」実験を行うようになった。
それらはすべて、「子どもの安全のため」として語られているが、
立教小学校の石井教諭は当初から、
「セキュリティーよりも利便性」という本来の動機を隠していない。
 
(中略)
 
私は、この3年間、RFIDのプライバシー議論にかかわってきて、
技術者よりも非技術者の方が技術に惚れ込んでしまっている様子を見てきた。
技術者にとって、IDで何ができるかは自明であり、
「こんな使い方も可能」ということに感動したりしない。
社会的影響や倫理的な検討をするのは、
技術提供者よりも技術の使用者の役割と一般的には考えられているだろうが、
技術の使用者が技術に惚れ込んでしまうような場合には、
どうすればよいのだろうか。