表現機としてのビデオカメラ、次のステップ

http://www.itmedia.co.jp/anchordesk/articles/0606/26/news011.html
ITmedia アンカーデスク:小寺信良
 


写真文化に比べてビデオカメラの映像は、
臨場感、つまりいかに生々しいかという点に特化してきた。
これは突き詰めていけば、テレビ局が求める方向性でもある。
 
 だが家庭で蓄積していく記録映像という視点で考えれば、
イヤになるほどの生々しさがはたして必要か。
それよりも、記憶に近く、より美的な映像のほうが
価値が高いと考え始めるユーザーが台頭してきて、おかしくない。
 
 決定的な差は、テレビ番組の映像が、
それを見る人が現場にいないということを前提としているのに対し、
家庭の記録というのは、撮影者も現場を体験している。
リアルな記憶をこれから植えつけるのか、
それともすでに持ち合わせているのかでは、
必要とされる映像表現が違ってしかるべきなのである。
 
 ビデオカメラの映像表現や撮影機能は、
新しいユーザーが感じている潜在的なニーズに合わせて、
変わらなければならない。
 
 生々しくする絵作りってのは、設計時にも
数値的にもわかりやすいんだろうなぁ…。
 
 小型ビデオカメラの「絞り(アイリス開き具合)優先」モードは欲しい。
そこそこの明るさの場所で、被写界深度をなるべく狭いままにしておきたいとき、
普通の小型ビデオカメラではかな〜り苦労します。
 

 繰り返し言うが、
家庭での記録映像には、テレビのナマナマしさなど必要ない。
すなわちこれの意味するところは、
果たして60iで撮るのが正しいのか、
ということを考えてみるべき時に来ているということなのである。
 
(中略)
 これは筆者の経験から言うことなのだが、
この時間解像度の落とし具合が生々しさを押さえ、
印象的な映像を作り出すのに大いに役立っているのではないか。
すなわち「非ナマナマ」な映像であるがゆえに、
現実のビジョンと混同せず、
記憶に残りやすいという効果があるのではないかという気がする。
言い換えれば、脳の記憶スピードに優しいコマ数なのではないか、と思うのだ。
 
 写真においては、「記憶色」なるものが
脳内に存在するということが次第にわかってきた。
それとはまた違った軸で、
動画の「記憶コマ数」が脳内に存在するのではないか、
という仮説である。
 出力端末であるDVD・HDDデッキやTV側が
その辺りの処理を担当することは、ある程度可能じゃないかなぁ。
けど、それじゃ違うんだろうなぁ、やっぱり。
  
 編集・再生の段階でそこそこ容易にコマ数を削ることは可能だけど、
映像を撮るときに"24Pや15Pで撮りたい"って瞬間は、結構あるはず。
 撮影者と映像編集者と上映者とが「近い」映像なら、
撮影素材を作る段階から、ある程度の撮影意図を入れたくなるものです。
 特に、コマ落としってのは効果的にうまく落とすと、
かな〜り気持ちいいですからね。
クリストファー・ドイルの映画とか見た後だと、特に。
 

 もう1つの要素として、
テレビの急速なプログレッシブ化は無視できない。