先日の撮影で、ささやかですが薄謝貰いました。
で、貰ったお金で安カメラと100円フィルムとその現像料と
元祖長浜屋+替玉で半分近くが既に消えているのが自分らしいなぁ。
で、思ったこと。
カメラなどを(それなりに)扱える人が切実に求められている場所ってのは、
まだまだ世界にも日本にもたくさんあるような気がする。
ただ、それがお金に繋がるかどうかはわからないけど。
キーワードのひとつは、
撮ったイメージを被写体に「渡す」ことなんじゃないかなぁ?
例えば、老人ホームや病院の慰問できれいなポートレートを撮影して
それをおじいちゃんおばあちゃんやその友人や家族やに進呈するとか、
居酒屋なんかで盛り上がってるところを「流しのカメラマン」がポラで撮るとか、
私みたいにパーティーで盛り上がったところを撮っておいて
コンビニのデジカメプリントで数分後には渡しちゃうとか…。
そういえば、メイドカフェやコスプレイベントのチェキサービスってのは
ビジネス的にも大成功してますし、友人にもコレクションしてる人がいます。
ただし、撮ることと焼く(刷る)ことには大きな差があって、
写真の場合にはプリントの段階でのコスト・労力の増加ってのは無視できない。
特に、デジタルで撮ってからプリントする場合は
ストレージ系デバイスのチープ革命に、
プリントコストの低下が全然追い付いていない(もう追いつけない)ので
撮ることと焼く(刷る)ことの間の障壁が相当大きくなってきている。
写真を撮ることに関わることで生じる職務質問の急激な増加や、
大量に設置されている監視カメラの"心理的問題"のひとつには、
撮られたイメージが被写体の手の届く範囲を大幅に超えたわからないところで
延々所有され、色々な形で利用され続けることへの恐れってのがあるのかもしれない。
例えば、「ポルノグラフィー」化されるってのがその典型のひとつで、
今、世間に流通しているイメージは大概そういう前提で撮られている。