速度や量や質や種類や値段設定っては、ある特定の敷居値を超えると、いきなり訳わかんないほど面白くなる。

http://d.hatena.ne.jp/okm/20060426
脱いだら凄いんです。
 


WEB写真の速報性というようなことも言われているが、
既に中平卓馬が1971年パリ青年ビエンナーレで、
毎日200枚のプリントを展示、会期中に取捨選択が繰り返され
“増殖する”という意図を持った展示を試みていることから、
その速報性はWEB写真ならではの要素と言うには歯切れが悪い。
 
また、WEB写真の量としての要素も、
中平卓馬の『Adieu a X』で既に行われている
“セレクトを省いた量の蓄積”という試みに類似している。
 
 過去にも、こういう試みがあったってのは歴史を知る意味でも参考になるし、
先人がいたことは「すこしの事にも先達はあらまほしきことなり」
って意味で、凄く参考になる。
 
 ただし、35年前には、中平卓馬のこのような試みを
日常的にやってのける人はまずいなかっただろうけど
(だからこそ、わざわざビエンナーレでやる価値があった)、
今のWeb写真界隈ではそれが日常的に、それも様々な人々によって
恒常的に行われていて、ネット環境さえあれば*1
定額接続なら観るだけならばタダ同然だし、
ほとんどの写真はローカルにダウンロードしたりして、
レタッチしたり、トリミングしたり、PCの壁紙にも出来るし、
そのダウンロードした写真は、状況が許せば別のアップローダーや
あるいはpya!など別の画像掲示板にもupできるし、
望めば、ある程度の画質でよければ容易にプリンターでプリントすることもできる。
 
…よーく考えると、これらのことって、結構過去にもやられているなぁ。
速度と数とコストパフォーマンスは現代だと圧倒的に違うけど。
 

*1:重要。携帯電話だけではまだまだこういう芸当は難しい。