東京都知事、現代美術を腹にすえかね:カルチエ財団、展覧会の開会式でとんだ「とばっちり」

http://www7a.biglobe.ne.jp/~mcpmt/Liberation20060424.html
リベラシオン
http://www7a.biglobe.ne.jp/~mcpmt/Figaro20060421.html
ル・フィガロ
 石原都知事のフランス語発言に抗議する会
 


席に戻って天井ばかりを凝視している東京都知事に続いて挨拶に立ったのは、
ベルナール・フォルナスである。
彼は、一転して、今回の出展作家たちにさかんな讃辞を送った。
挨拶のなかでフォルナスが、ジャン=ミシェル・アルベローラ、
松井えり奈といった画家たちから、森山大道といった写真家まで、
東京都現代美術館に展示されている作品を
「重要な傑作」と評するにおよんで、会場から一斉に拍手喝采が巻き起こる。
こうして、石原の主張も宙に浮いた格好となる。
 
 アホな煽り言動は無視すればいいとして、
そのうち「退廃芸術」って言葉がまた復活してきたらやばいなぁ
…ここまでやるアホな人ならやりかねない。
 
追記:

 「現代美術はガラクタ」
と彼が言った文脈は、現代美術はインスタレーションなど、
やたらに大きな作品になっていることがよくない。好きではない。
やはり、家の中で日常的に鑑賞できる芸術の方がいい、
といった趣旨の発言だったように思います。
 
「こんなものをコレクションするくらいなら日本人作家の作品を大量購入するべきだ」
 
 まあ、石原さんお得意の話ですよね。
(中略)
 「見る者に説明を要する現代美術というのは無に等しい」
という訳文の趣旨の発言は、当然ありました。
 
 ですが、石原さんだって、言葉を使うアーティストです。
言葉を使うアーティスト、つまり文学者の立場からすれば、当然かもしれません。
文学者は、言葉で説明してナンボです。言葉で分からせないといけません。
 
 ですが、アート(特にビジュアルがあるもの)は、
言葉で説明するんだったら、ビジュアル要らないじゃん、
とも言えるのではないでしょうか。

 説明無しには何もわからない。
美しくも無く、これという感興も呼び起こさないものは
「コミュニケート」を拒絶している、
もしくは「分かる人だけ分かればよい」という態度では、
無いのと同じじゃないかという彼の不満として、
私は理解しました(まあすべてに賛成はできませんけど)


http://plaza.rakuten.co.jp/conshudo/diary/200604290000/
石原都知事を全面擁護するわけではないの…

 
 石原さんは、
「説明聞かないとわかんないよ、そんなの。
そうやって一目みただけじゃわからない作品というのはねえ」
と言ったらしいんだけど、う〜ん、この感覚ってのはどうなんだろう?
 
 一瞬でも「え?」っていうか、「なぜ?」って感覚を受ける・与えるってのは、
現代美術にとってものすご〜〜く重要な部分のひとつで、
そのわからない瞬間に脳の処理モードがガクンと変化することで
「普段使わない頭をフル回転させる(自己の認識を揺さぶられる)」ってのが、
ものすご〜〜く重要なポイントになる部分なんだ。
 固まった世界を、心地よく、あるいは時にショッキングに揺さぶること。
 
 これは、現代美術である限り必ず付きまとう問題だし、
過去のエポックメイキングな美術作品、例えば印象派ゴッホの作品など
今では「現代美術」ではない作品でも、当時は結構色々と話題を呼んでいたりする。
 そして、作品を調べれば調べるほど、その「わからない」部分は出てくるし、
作品を綿密に調べていくことで「わからない」部分が
100年後にわかるってのは作品によっては結構あったりする。
 
 石原さんが「一目見ただけでわからない」部分が、
現代美術にゴロゴロあるのはある意味極めて正常なことなんだ。
だって、作者ですら作ったときにわからない事が、
優れた批評によって明らかにされることも結構あるんだし(爆笑)。
 
 あと、わからない場合は、
会場にいる作者や、展示されている作品に詳しそうな人に色々訊くとか
なぜわからないのかをじっくり色々考える*1とか、
「それでもわからないことがある」という自己の限界を受容することとか
…ま、わからないってキレるっていうのコミュニケートのひとつだろうけど。
 
 現代美術を考える上でのポイントになるもののひとつが
「コミュニケーション」なのはもちろんだし、
現代美術における「コミュニケート」の難しさってのは凄く切実な問題なんだ。
忘れた頃に、旅した後に、突然わかるようになるってのもある。
 
 石原さんは、
「説明聞かないとわかんないよ、そんなの。
そうやって一目みただけじゃわからない作品というのはねえ」
と言ったらしいんだけど、
異なる文化圏のものを一目見てわかるって思いこんでいるってのは、
謙虚さを全く感じさせない発言で、ものすご〜く傲慢に思える。
 わからないものを、わかった振りをするのもよくないけど、
「一目見ただけでわからない」のはダメって言い方は、かなり良くないと思う。
 
 ちょっと話はずれるけど、
昔、黒澤明さんだったかな?、映画のコンセプトを記者に訊かれたときに、
「そんな簡潔に話せるのなら、2時間の映画なんか作らない」って言ってたけど
これ、政治をやる場合とか、作家の場合はどうなんだろ?
 
 ま、日本の面白い現代美術作品をもっと買ってくれって言うのはアリだけどね。
けど、そうなると、アキバのアニメな会とかを滅茶苦茶に言った石原さんのことだから、
今度は「日本文化の偏った海外流出」とか言ったりしてw。
 
 あと、作品のサイズについて。大きいことは、
その大きいという絶対性故に、大きいということの意味がある。
その大きさ故に、なかなか展示できないから、大規模な美術館に置かれたり、
大富豪の邸宅の奥にストックされてたりするんだ。
 
 そうそう、
http://d.hatena.ne.jp/m_tohma/20060429#p1
m_tohmaの日記 - 備忘録
には
>東京都現代美術館のリストラを図っているのだろうか
って書かれてたりもするけど…どうなんだろ。
ICCみたいな場所が運営終了の危機にある時代だし。
 

*1:時代性やローカル感覚ってのが影響することが多々ある。