「日刊リウイチ」で博報堂の『写真山脈』の秋葉原特集をレビュー。

http://www.asahi-net.or.jp/~wf9r-tngc/nikko.html
日刊リウイチ (2006年4月27日)
 
 2000文字程度、長文のレビューです。
アートとアキバ、両方わかる人なんで、そこの部分もしっかり見てます。
そして、メイドさんに扮した自身を撮影した青野千紘さんの写真に対して、
相当面白いレビューを書いてます、さすがだなぁ…。
私とは見ている場所が違う。
 


実は格好良いんだよ、って広告のクリエイティブな感性が
アピールする秋葉原なんて初戦は虚構の秋葉原
けど世間に情報を届けるメディアが”誤読”して流した
スタイリッシュなイメージが、一般化した果てに訪れる
現実との摩擦がやがてスタイリッシュな方向へと、
猥雑で喧噪に溢れた街を引っ張っていく。
そして起こる六本木化。あるいは渋谷化。
秋葉原クロスフィールド」を中心に一部始まっている
”浄化”の動きが広告とゆー燃料を投下されて
拡大しよーとしているのが、たぶん今の状況なんだろー。
つまりは「写真山脈」はその尖兵か。
 
(中略)
 
 これはどうしたものかって迷わされるのが、
青野千紘さんって博報堂プロダクツの社員で写真家のオシャレ系眼鏡っ娘が、
メイドの格好をして秋葉原の様々な場所に出没しているセルフポートレート
「街に対して、TVや雑誌やらで、なんとなくできあがった
『アキバ』というイメージだけはある」って程度の人だけど、
「メイドの格好をして街を歩き、ある時はテイコウと言われる
部品や電球を接写して、撮影してたら楽しくなって、嬉しくなって、
なんだぁ、私も写真オタクなんだぁと実感」したそーな。
そりゃまた結構。努力は買う。だって27歳だよ。四捨五入すれば30歳だよ。
頑張ったって讃えるよ。
(中略)
けどでも。メイドはすなわち秋葉原って発想自体が何とゆーか表層的。
秋葉原=メイド」ってイメージは、この1年くらいの間で、
マスメディアを通じて狭い穴から伝えられ、
けれどもマスメディアであるが故に広く遠く
真で伝わったイメージに過ぎないんだけど、
それをマスメディアに働く人たちが、
増幅してさらに広い範囲へと伝えよーとしているのが青野さんのシリーズ。
そんなマッチポンプ的な図式の外に本来あって、
濃く漂っていた秋葉原の特質が、
フレームアップされたイメージに押され衰退し失われていくんだとしたら、
青野さんのやっていることを美麗だからといって、
果たして讃えて良いのかって気もしないでもない。
(中略)
今度はさらに「コスプレする人の気持ち」に近づくために、
メイドとして歩きビラを配りカフェで給仕をし、
ホコテンで踊り唄る休日を1カ月でも3カ月でも、続けてみては如何。
27歳にしてそこまでやってくれればもう、大歓迎するしかありません。
 
 私の場合は、青野千紘さんの作品は、
アキバに馴染みじゃないひとが今のアキバにもつ感じってのを、
とてもストレートに自分の身体を広報媒介のひとつとして出してみたところで、
その屈託の無い「観光」感をポンと出してみせる選択をしたところに、
エッセイマンガみたく、広告な写真らしい、軽い面白さを感じたんだけど。
 
 他の人の写真の計算された「あざとさ」がほぼ全部失敗してるのと違って。
(もちろん、メイドさんハァハァな部分が強くあるので、贔屓目もあるし、
このメイドさん撮影を、この1回だけでなくしばらく繰り返すと、
なんか面白そうなものが出てきそうな期待感ってのは強くある。)
 
 あ、けど、自分の中でのベストは
「当所は国鉄用地に付き…」って書かれた壁のあるページかな。
自分にとってのアキバは、「コラムス親父のお店」とかが原風景です。
 
・2006年6月14日追記:
積ん読パラダイス 写真山脈
http://www.asahi-net.or.jp/%7EWF9R-TNGC/syashinsanmyaku.html
 
積ん読パラダイスinBlog:『写真山脈』
佐野研二郎ほか、博報堂プロダクツ、777円)
http://blog.livedoor.jp/kha02604/archives/50568337.html
(固定リンクがあるって、便利だなぁ)