「労働のパロディ」としての「オレオレ詐欺」組織

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価値なしゴミ労働
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価値なしゴミ労働 その2
ですぺら


なんつーか、「労働のパロディ」なわけである。
「詐欺の営業電話」をせっせとかけるという労働。
しかし、我々は、名簿を見て、
金を借りませんかとか広告出しませんかとか小豆の先物やりませんかとか
未公開株買いませんかとかマンション買いませんかとか、
そおゆう電話を延々とかけ続けるという「仕事」が存在している事を知っている。
俺の職場にもすんげえ頻度で掛かってくるし、
「ちょっと忙しいので」とか言って切っているうちは
なんどでも同じところから掛かってくる。
そおゆう「営業の電話掛け労働」と、「オレオレ詐欺の電話掛け」とは、
作業行程としてほとんど同じであるとゆう事は、容易に想像できる。
そして、「店事に競わせる」とか「ノルマを課して」とか「統括社長」とか、
そおゆう様式って、本当に俺らのなじみの深いものだ。
中途半端にでかい「サービス業」で働いた事のある人は
ホントにヒシヒシと「この感じ」はわかるだろう。
この「オレオレ詐欺会社」は、俺らの生産様式をまるまるパロディにしたものだ。
 
でな。
話があっちいったりこっちいったりするが、
サヨク的な立場から出てくる「勤労の美徳」的な話って、
労働価値説が基盤になっていると思うんよ。
 
(中略)
 
我々が日々、口を糊している「労働」と、
この「オレオレ詐欺会社」での「労働」との間に、
果たして、本質的な差異はあるのか?
(中略)
実際、世の中には実に、どうでもいいガラクタに
法外な値段を付けて売りつけるような事で出来上がっている。
そうであれば、「オレオレ詐欺会社」の業務は、
その間の過程をロコツに省略しただけのものでしかないのではないか?
 
 このエントリーを読んでふと思い出して気になったのが、
2chに投棄されていたネタ
http://yet.s61.xrea.com/mt/archives/000555.html
2ちゃんねるベストヒット: 女子高生の間で噂の怪談
 
 ガジェットとかフィギュアってのは、それ自体ではほとんど役立たずだけど、
そのガジェットが何かを想起させる故に商品として成立するんだよなぁ。
その「何か」ってのはそのガジェットやフィギュア故の歪みがあるから
それ故に重宝される。