オタはカルピス原液がデフォ。あるいはアイコン状の「萌え」絵と「フレームサイズ」の関係。

日本の有名なマンガって、大抵の作品が、
ほぼデフォルトで2つ以上の判形を持っているのな。
連載時の雑誌サイズと、単行本のちょっと小さめサイズ。
(まあ、AKIRAみたいな例外も色々あるけど。)
 
 bodyとの接触面を縮小すればするほど、機械的
「等倍縮小」よりも、微妙に「ディフォルメ」されたほうが"リアリティ(ある種倒錯したリアル感)"がでる。
特徴を捉えて、そこを微妙にアイコン的に「濃く」表現した方がウケがいいらしい。
漫画のコマの小ささ故に許容でき、煮詰められていったその「濃さ」が、
いきなりサイズが大きくなったり、コミケやoffで密集したり
等身大やそれ以上になったときに出てくるアンバランス感。
それは、自分の中の「リアリティ」より少しばかり濃かったりして、
そこでドラッギーな感触になれてさらに濃い方向>以降ループ。
 
それは街中に登場した「着ぐるみ」を私が初めて撮ったときに味わった
「うわぁ…これ…どうしよう…撮り方全くわからねぇ」感でもあり、
だからこそ、村上隆の「巨大作品」が「ただ巨大である」故にアートになり得るし、
その一方、サイズの小さい食玩は、相当濃いものでも、安心して部屋に置ける。
 記号としてはえらく濃いんだけど、サイズが小さい故、
「安全」で携帯可能な範囲内に収まる作品、値段的にも。
 
 超絶技巧で製造された田宮模型の自動車のプラモや、
世界トップクラスのミニカーモデルをそこからもう一度1/1サイズまで拡大すると、
実存する自動車とは「微妙に違う」形になるらしい。
この差は、たぶん、舞台の距離感から察するに、
元の自動車のデザイナーからは微妙に
「くどい」「しつこい」「吉本新喜劇的な表現w」に
なるんだろうなぁという気もしないではない。