「重さ」や「軽さ」の基準ってのは実際にあるのだろうか?

http://amanoudume.s41.xrea.com/2005/11/web20.html
発熱地帯』「Web2.0の本質は「人力」の集積回路
 


ボクはWeb2.0の本質を「人力」の”集積回路”と書きました。
つまり「人力」を集めるだけでなく、
集積回路」というに値するほど効率よく集める「仕組み」なのです。
 
(中略)
 ボクはユーザーにとっても、開発側にとっても、「軽さ」が重要だと考えています。
Web2.0的というと、ユーザーにエディタを配って
……というのがわかりやすいですし、
上では対戦ゲームを例に出しましたが、
ボクが一番関心があるのは「もっと軽い人力」です。
Webサービスでいえば、ブログよりもソーシャルブックマークに関心があります。
 
(さらにばっさり中略)
 
あくまで個人的な考えになりますが、
ボクはクリエイターというのは普通の人よりも「諦めが悪い人」だと思っています。
作品をより良くしたいという欲望だけでなく、一度掘ったテーマについても、
もっと良い描き方があったのではないか、
今の技術なら当時あきらめたことができるのではないか、
俺ならこうしたのに、という「諦めの悪さ」が溜まっていくんですね。
過去の仕事や昔のゲームについての知識は、
ただの昔語りではなく、ただの経験値でもなく、
次のチャンスを狙う生きた状態で残っていくはずです。
つまりずっと考え続けているんですね。
自分の仕事については特にそうですし、
他人の仕事でも問題意識を共有することもあります。
 
(中略)
 
まぁ、クリエイターなら誰でもそういう性質がありますが、
よりクリエイティブな人ほど忘れないし、諦めが悪いし、往生際が悪い。
ボクが他人に対して「この人にはまだまだ、かなわない」と思うのは
大抵、自分以上の底知れない「諦めの悪さ」に直面した時ですね。
昔と同じ部分を語るのは学者や歴史家の仕事で、
クリエイターは昔との違いに注目する生き物だと、ボクは思います。
 
 この冒頭に引用した一言から必然的に導き出される事柄について
自分の中で持っている知識リソースをある限り全部投下して考察し、
それから「先」のことについてある程度予測して、そのビジョンを具現化すべく、
ひとつの商品アイデアとして提示した文章があるんだけど、
その文章、とあるコンテストに応募しちゃったので公開できません。
 
ハイ、それは選考結果発表がいつのまにか延び延びになっている
NINTENDO DS "asobi project"への、私の応募作品です。
http://www.asobi-project.com/index.html
12月半ばって…、下手したら来年までもつれ込みそうだなぁ。
 
 もう、うずうずするほど色々書きたいことがあるんだけど、
今はネタばれになってしまうので書けないのが超くやし〜*1
&このエントリーを読んだ瞬間は、「ヤバイ考えていたことの先を越された」かと
すっごく焦りました。しっかり精読した後だと、少し落ち着いたけど。
 

*1:当然振り付けは「ジタバタジタバタ」