カーニヴァル化する思想。

http://d.hatena.ne.jp/using_pleasure/20050529/1117313049
『記識の外』
 ちょっと長いけど引用。 


鈴木が主に取り上げる「2ちゃんねる」の事例においては、
すでに記号としての「2ちゃんねる」がメンバー間を横断する
シンボルとして共有されており、各々のオフイベントは
この記号によって媒介されてしまっている。
そしてこの時点で、オフイベントへの参加者たちは
「繋がってしまっている」のではないだろうか。
 
「繋がりうる」ということは、
いまだ繋がっていない状態から、「繋がる」可能性を展望することだ。
そしてその状態について「共同性」という言葉を用いるのだとしたら、
2ちゃんねる」という記号によって既に媒介されてしまっている
2ちゃんねる」発祥のオフイベントは、
ここで言う「カーニヴァル」の定義、あるいは「集合行動」の定義から
はずれるのではないだろうか?
2ちゃんねるのオフイベントは主にOFF板を中心に企画されるのだろうし、
そこでは「2ちゃんねるを継続的に見ている」ということが
―そして2ちゃん特有のジャーゴンやAAを用いた
コミュニケーションに慣れ親しんでいることが―
企画に参加するためのある種の条件となってくることだろう
 
もしそのような条件がなく、
普段2ちゃんねるを見ない人がある時なぜかOFF板を覗いてしまい、
そこで企画されているオフイベントが面白そうだったから参加した、
というケースが大多数を占めるのであれば、
それは「アドホック」な「カーニヴァル」と言うこともできそうだが、
しかしそのようなケースを想定することは著しく困難なことだろう。
こうした想定が困難なとき、
「祭り」やオフイベントはあくまで偶発的な「カーニヴァル」なのだ、
と主張することには無理があるように思われる。
そして、このような形での「偶発性」の主張は、
むしろその企画形成段階における何らかの動員システムの形成や、
方向付けの形成過程といったものを見過ごしてしまうことにもなるだろう。
 
 2chオフでは、2choff板を普段見ていない人が
オフの様子を現場で直接見て「その場で飛び入り」できるか
どうかということなのかな?
 なんか鈴木さんの論では繋がりの「ある・無し」よりは
どちらかと「粗・密」を問題にしている気がします。

気分的な文章だけど、2chのシステムの持つ政治は細い糸のようで、
しかしその織り方次第では色々面白い異化効果を持ちます。
いや、2ch自体が面白い機能を持つ「織り機」だと言う方が適切か?
 
 
 
 あ、わたしはなぜか、乱入飛び入りを結構する人で、
大阪でも気が付いたら、喫茶店大大阪*1」でも初対面の人と名刺交換していたりw。