尼崎での脱線事故についての文章。

http://amrita.s14.xrea.com/d/?date=20050509#p01
圏外からのひとこと(2005-05-09)』

 
 WHY、つまり、「なぜそのような設計にしたのか」という情報は、
日常の保守、改造作業においては不要である。
だから、それを残すことをシステムとして担保しないと、
時間がたつにつれて失なわれてしまう。
当初の設計の何を変更してよくて、何を変更してはいけないのか。
それを判断する為には、HOWだけでなくWHYの情報が必要なのだ。
 (中略)
カトラーさんもおっしゃるように、
番組では、このWHYが抜け落ちていく過程が、克明に明らかにされていた。
そういう部分を地道に、論理的に追いかけることが重要だと思う。
 
http://katoler.cocolog-nifty.com/marketing/2005/05/post_9314.html
『カトラー:katolerのマーケティング言論』「JR西日本、悪玉論を排す」
<全文、とても興味深い。 
 
http://banning.way-nifty.com/1/2005/05/post_3a1b.html
『円山貫’s EYE on high-tech development』
「書籍『定刻発車』と尼崎脱線事故の速度超過:日本の精緻かつリーンな社会システムとその緩み」

[余裕の無さが日本社会の宿命か]
[小さなストックで大きなフローを生み出すのが日本の宿命のように感じて仕事をしている。]
結果、小さなストックで大きなフローを生み出す、
すなわち非常に効率的な社会システムを生み出したのが日本の繁栄。
 
(中略)
 
[宿命的余裕の無さ]感覚で育った世代は、
[余裕|ストック]について、考える必要が無かった。
 
少ないストックで大きなフローを生むこと自体は、効率的。
ただ、それを支えている価値観が[少ないストック]を当たり前としているため、
ストックを考慮するという発想がない。
旧来の組織は旧来の稀少ストック価値観で会社システムを構築しているから、
[余裕|ストック]がシステムに考慮されていない。
 
つまり、発想が貧乏くさい。
ケチ、は、使うところには使う、のだが、貧乏性は、使うべきところにも使えない。
(中略)
 
ヒューマンエラーにバックアップの無い貧弱な設備基盤投資で運転士に責任を集中。
(貧乏症の症状。)
 
 
 
http://shibuya.txt-nifty.com/blog/2005/04/post_af3b.html
渋谷知美さんの『ゆるい日記』:
「性別に言及されないことの幸せ――脱線事故の報道を聞いて思ったこと 」

男でよかったね、と思った。
このたびのJR宝塚線脱線事故の運転手である。