それより、惨劇に踏み込んで行く勇気をジャーナリストに与えるようなデザインを与えるのが先だろう。
http://162.teacup.com/sinopy/bbs
『武田徹オンライン日記』 4月25日(月)19時00分24秒
ソニーの限定品戦略のクオリアについては前にもここで書いたが、
こんなものまで出てきた。
http://www.sony.jp/CorporateCruise/Press/200504/05-0421/
いやぁ。かっこいいわ、実際。真っ黒でしまって見える。
(中略)
それに対してこんどのは業務用にも使えるはずで、そうすると
経費感覚で買う人が出てくるかも。で、売れるかも知れない。
プロのプライドをくすぐる作戦。趣味人よりもプロの方が可処分所得があるということか。
しかしあざといと思うのはこのクオリティで作れるのだったら
一般商品ももっと作り込むべきだ。
(中略)
ガシガシ使う機種が良いデザインで、
しかも使えば使うほど味が出るような工夫がしてあれば、
これは世界の名器になる。
要するにニコンFのブラック塗装版である。
作り込みが出来るのにやらない。その技術を限定版に取っておく。
そうして実力を出し惜しむところが井深、盛田時代との一番の違いのように思う、
それはポスト出井のソニーも変わらないのだろうか。
(中略)
だいたいマンションに電車が突っ込んだ凄惨な現場を写すカメラに
「空気まで映る」なんて謳われる描写性能のコピーが必要か?
なんかすべっているコピーだと思う。それより、惨劇に踏み込んで行く勇気を
ジャーナリストに与えるようなデザインを与えるのが先だろう。
読んでいて、色々考えました。
『惨劇に踏み込んで行く勇気をジャーナリストに与えるようなデザイン』は
今の時代の表現に果たしてふさわしい代物なのでしょうか?
少なくとも、ロモグラフィーやピンホールカメラ特集が組まれる雑誌
PHaTPhotoを読んでいる私には縁がないような気がします。
で、自分がメインで使っているデジカメEX-S20のことを思い出しました。
この小さいながらも、携帯電話のカメラよりは随分使える「カメラ」を持ってなら、
惨劇に"も"踏み込んでいける自信があります。
ただし、これはEX-S20が惨劇を撮影するのに使えるという意味が主なのでなく、
惨劇からの救出を手伝いする活動の「妨げにならない程度の重み」*1しかないと言う
極めて「カメラとしては軽い*2」という意味での時代性です。
手のひらサイズ、ピント合わせ不要、中古1万円強でメンテナンスフリーに近いカメラなんで、
いざとなったら惨劇の渦中の人に委ねて、その人にベストな方法で使って貰うのもいい。*3
ただ、クオリティの高い「プロならではの仕事」ってのにも魅力はあります。
結構スペックがギリギリの場所では、能力が低いことで仕事ができなかったり、
時にはその仕事が危険にさらされることもあります。
素人やショボイ道具では手を出せない場所ってのもあるんです。
PC用CPUの回路を作るためのレンズなんては、その最たる物かもしれません。
(特殊用途向けのCPUを作るベンチャー企業は、
CPUの生産設備を購入することがまずできないので、
自社の開発したCPUの生産を台湾の某メーカーに委託しています。)
道具のつくりに使い手が「引っ張られていく」という感覚ってのは、
確実にある程度あります。もちろん程度の強い弱いの差はありますが。
いい仕事をするには「いい道具から入る」という言葉もありますし、
いい道具を使い慣れると低クオリティのものにわざわざ戻すのは難しい。
道楽でないとなかなか戻れません(逆に、道楽なら全然「あり」です。)。
そうそう。オウム事件の時には、ハサミを持っているだけで凶器所持扱いされていたり。
奈良の騒音おばさんのカメラはブランド不明のレンズ付きフィルムだったり、
HipHopのターンテーブル2台使いは元々楽団を必要としないチープな音楽だったとか、
D.I.Y.って言葉はやはりイカスとかいうのを思い出しました。