(ネタばれ注意)映画「ブラック会社に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない」試写会:★★★★★

http://www.kotono8.com/2009/09/16black-genkai.html
絵文録ことのは]2009/09/16


つまり、この作品では、決して「ブラック会社」そのもの、
あるいはブラック会社の黒幕である社長、
あるいはブラック会社を生み出す二次・三次の下請け構造といった社会そのものに矛先が向けられることはない。
雇用主に対して待遇改善を要求するわけでもなく、リーダーや社長と対決するわけでもなく、
あるいはこのようなデスマを生み出す発注元会社との関係改善に向かうわけでもない。
この会社がこれからも「ブラック会社」であり続けるだろうことは、
スタッフロール後の(ある意味最も恐ろしい)エンディングシーンからも明らかである。
 
おそらく、プロレタリアートブルジョアジー階級闘争を原則として考える
旧来の「労働組合」や「労働運動家」から見れば、このような作品は生ぬるく、
場合によっては「搾取された労働者を諦めさせる」かのような許し難い作品と映るのではなかろうか。
 
しかし、わたしはそれがこの映画のよいところだと思う。
平成の現代、もはや「搾取する雇用者 vs 搾取される労働者」の闘争だの
「利潤追求の大企業は悪、か弱き消費者が正義」といった二項対立は、
完全に時代遅れである。
 
 ここは強烈に断言しておこうよう、
こういう視点は全然時代遅れじゃないよ!諦めたらおしまいだよ。
ただ、2項対立ではなくて、面で捉えるようにするとすごく面白くなるよ!
 
 問題設定のスタートラインが間違っていたり、
飛んでいくための目標設定が色々違っていたり、
命綱をガンガン切らせる組織構造があるから、
「時代遅れ」と感じるようになっているわけで、
むしろ、いまだからこそ対立とか移動のための視点とか必要になってきているんだよなぁ。
 本人がその過程で自己成長を感じているのは、まあ、(10歩譲って)いいにせよ、
それが長期的にダメをこじらせる方向にいくんじゃないかと、ちょっと不安になる。
 
 
 これが、電車男みたく、とても早い段階で、
「もう俺は限界かもしれない」になるずっと前の段階で、
せめてもう少し早くネットで色々と相談開始していたら、
ずっとずっと先々面白い展開になっていたかも知れないだろうなぁと感じるわけで。
 
 
 関連リンク:
http://www.sounan.info/
映画『遭難フリーター』公式サイト