先週行った写真展色々と。
twitterでつぶやいておくと、後でまとめるときに便利だなぁ。
浜田涼展@銀座藍画廊
http://homepage.mac.com/mfukuda2/aiga357/aiga357.html
Ryo HAMADA 浜田涼
http://www.ugahamada.sakura.ne.jp/
眺めていると、自分の目が焦点を合わせようとして色々頑張って、けど上手くいかずに、
焦点を合わせるのを諦めた途端に、視覚感覚がなにかしらきゅっと広がる。
その、感覚がきゅっと広がっている間、やたら心地いい眺めが体験できます。
杉本博司 + 石上純也 展@ギャラリー小柳
http://www.gallerykoyanagi.com/
石上純也さんの作品は、実物で体験するとかなり気持ちよさそう。
杉本博司さんの作品は…う〜ん、クオリティは素晴らしいけど、自分は微妙に肌が合わないんだよなぁ。
計算されつくした大人のための建築で、それは機能的で素晴らしいんだけど、
自分の中での宗教建築や社殿のイメージに必ず付いてくる
「澱み」「溜まり」が排除されているってのは気になる。
「子ども」や「敷居の住人」が入り込める余地が無さそうなんだよなぁ。
鏡堂みやび展「牡丹と芍薬」@vanilla-gallery(18禁)
http://www.vanilla-gallery.com/gallery/kyoudou/kyoudou6.html
作者来廊。
展示作品は肉筆画と、(おそらく)フォトショップで色々加工された写真かなぁ。
作者曰く「念写だよwww」ということなので子細は不明(笑)。
劇画っぽい、エグイ肉感と、どれもこれもえげつないオヤジのイイ顔は一見の価値あり。
黄 龍起(Hwang Yongki)展 「筑豊・ケツワリ峠」@銀座ニコンサロン
http://www.nikon-image.com/jpn/activity/salon/exhibition/2009/08_ginza-2.htm
作者在廊。
筑豊の方言に「ケツワリ峠」という言葉がある。
それは、坑夫にとって炭鉱の仕事が大変つらいとか、炭鉱で不当に待遇された時、
「誰にも分からないように逃げること」を意味する。
土門拳の本を読んでたところを、少しお話伺いました。
薄暗い時間を長時間露光した、風景モノクロ写真と、
炭住の光景の写真と、在日朝鮮人の人物ポートレイト。
峠の写真は、歴史的な背景もチェックした上で観賞すると、
作品意図や「今の空気」も加味するといろいろ深みが出る。
この作品は、若い人ほど、作品をじっくり観て、
可能であれば作者の方とお話しできれば色々得るものがありそうな予感。
ポートレイトは、まだまだ記録写真でした。
もう少し時間をかけて撮ると、なにかひとつスコンと抜けそうな気がして「惜しい」。
…他の写真を観ていると、掴んでるところは絶対あるはずなんだけど。
山本昌男 「川」@ミヅマアートギャラリー
http://www.mizuma-art.co.jp/exhibition/1245307757.php
山本昌男【YAMAMOTO MASAO】
http://homepage2.nifty.com/yamamoto-masao/
電車乗り継いで行った価値があった、いい写真展でした。
川」とは被写体を示すものではありません。山本は「川」を境界としてとらえます。
それは地形的なものではなく心情的なもの、
たとえば彼岸・此岸という境、
あるいは人生のような「流れ」自体として。
まず、作品の出来の格が違う!
ひとつひとつは、やたら滅法出来のいい小さな単写真、で、そこから色々広がりが想像される。
会場全体を眺めると、さらに、そこからセレクトされなかった残りの写真も想像される。
会場展示もやたら上手かったし、もう一度作品をじっと眺めていると、
なんだか「もっといろいろ見たくなる、欲しくなる」雰囲気が。
これは見事に商売上手というか、コレクター殺しな展示方法だなぁ(喜、うまい。
で、作者がインタビュー受けていたところを立ち聴きしたのですが、
自作品のプリント販売"だけ"で生計たてている!ということとか、
いわゆる「写真業界」の枠ではなく、アート作品(商品)としての作品製作・販売の意図とか、
フィルムへのこだわり(最後までフィルムでやり続ければ、その価値が出てくるとか云々)、
作品をコレクションしてくれる顧客との信頼関係とか、興味深い話を色々されていました。
で、その話を聞いた後で、再び作品を見ていると、
杉本博司さんの作品とか、様々な「クラシック」になっている写真を回想しながら、
こういう意味での、クオリティ高い写真が、
今の世界の美術マーケットの世界では求められているんだなぁと…。